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嘘の日々だった【2】

ルービックキューブの面の色が揃っているのが、正解だと思っていた世界。
読み進めるたび、かちり回して、一列、一列のまた一列、色を解していく。
バラバラの面が同じような色の顔をして馴染み合う…

第2章「人はなぜ嘘をつくのか?」

嘘の分類の多さに辟易しながら、嘘=悪いこと、として生きてきた己の浅さに恥じた。ちょっと遅い。知りながら生きてたら、あの時あの場面の自分はもう少し、重い荷物を背負わなくてよかったのにな。

第3章「嘘とどう付き合うべきか?」

ここまで読み来て、心地よく頁の文字を滑走していた。
168頁あたりでは、鼻息さえ荒々しく恍惚と読んでいた。
176頁では読んでいた場所が喫茶店で隣に人がいたので、笑いを堪えるのに必死だった。痛快で音読したかった。177頁へスライド走行して「どうせこの世には…」3章締めの4行を読んで、鴨さんを好きになり、鴨さんへ着岸したこれまで本で旅した日々を振り返り、本が出来上がるまでの物語と、故あって本に出逢えて読めたこと、自分の人生を愛しむことができそうだ、と達観していた。嘘かも変わるかも、だけど。
本書の表紙を眺めて、何ぞや…と困惑している人、177頁最後の4行に出逢うために、本書を読んでほしい。立ち読みだけではダメです、その前後の散らばる齟齬を、自分の脳内で再生されることを愉しんでほしいので、どうか買えください。

第4章「もしもこの世に嘘がなければ」

小説:僕たちはみんなほんとうのことしか言えなかった

ここも、喫茶店で読んでました。なので、笑いを堪えるのに必死でした。登場人物の関係性を深めるためにも是非、本書「ぼくらは嘘でつながっている。」のはじまりとなった編集者今野氏の依頼文「ココロギミック」を読んでいただきたいし、遡って「読みたいことを、書けばいい。」で暴かれている編集者と作家の関係性から愉しみたいところ。「会って、話すこと。」でこの流れは一旦達観する。続くかもだけど、読者はここも大いに期待して妄想している。我ながら酔狂と自覚するところはある、うっとりと話する私を眺める子供たちの目は、嘘すら閉じ込めて優しく見守ってくれる。夢中になる母親への畏敬で言葉も出ない、としよう。好きなことを追いかけると人生愉しいよ、が私流子育てである。

嘘の日々だった【1】続きというか回想

【嘘その4:自分の幼少】
子供の頃わたしは、それはそれは嘘つきだったらしい。
ないものを「ある」「できた」「知ってる」は茶飯事で、更に「ごめんなさい」を言えない子だった。今思えば最悪だなオマエだった。

嘘に振り回され、義母にも夫にも責められた母は、私に対して強硬手段に出る。忘れもしない、小学1年のある日放課後「キリスト教の教え」という紙芝居を学校の前庭で見せられた。後光射してるキリストの宗教画が不気味だった。そのことを母に告げると、母は言ったんである。

「その紙芝居を見たら、嘘をつくと10日後にキリストが迎えに来る」

と…!
そこから毎朝毎晩、布団をずっぽり頭まで被って恐怖に怯えていた。今日の私は嘘をつかなかっただろうか?キリストがこんな田舎の農家のボロ家の玄関まで、迎えに来るんだろうか?迎えに来た後、天国じゃなくて、絵本に描いてある地獄絵図のような地獄へ堕とされるんだろうか?私にしか懐いてない、父親に煙たがれていつ捨てられるかわからない柴犬のクロはどうなるんだろうか?一人ぼっちになるんだろうか?私の身体は焼かれるんだろうか?閻魔大王に舌を抜かれて、二度と話せなくなるんだろうか?




10日経った。

玄関は静寂なままだった。



母へ恐る恐る、「キリストさん来ない?」って聞いた。
「あぁ、あれは嘘だよ。本気にしてたの?」と笑われた。このときの母が鬼に見えた。しかしだ、自分でもどうしようもなく嘘つきでいい子に見せたくて嘘をついていた自覚があったので、10日間嫌というほど「嘘」について考えて反省していた。嘘でよかったぁぁぁ!嘘をつかれて人生初で大泣きしたのを、今でも鮮明に覚えてる。母よ、いま貴女と同じく3人の子育てしていて思う。思春期の時はそれなりに反抗して酷いことを言った、反省している。貴女は偉大だ、マリアだ。


本日、ここまで。

いま読了して、私はまだ153頁と「現実を変えるために小説を書く」について感想を述べたい。自分の価値観ぐるっと回転した、仕事と子育て通して無我夢中の現在交差点を記しておきたい。整頓が必要である。
次回【3】最終です。

読了した現在地点でひとこと。
本書が世に出たこと、接点あって本書を我が手にした奇跡に感謝。

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