38. 北京で(番外編その2:中国の同僚とのよもやま話)
んで、ここからさらに昔の話に脱線していきますが、幾つか忘れられない思い出が。
アジアの言語の特徴とすると「声の大きさ」と言うのがある様に感じます。(これに関してはフランス人と飲みながら話したことが有り、彼らも同意してました)
それは上海でも、ソウルでも街中のお店や携帯から聞こえてくる会話から常々感じていたことでもありました。
大学生の頃ですが、学校の図書館の2階で本を探していると階下から中国語か韓国語で大きな声で言い争っているのが聞こえてきたので、ビックリして皆で
「留学生がモメてる!」
と駆けつけたら、入り口の辺りで留学生の方々数名がにこやかに談笑してたと言うことが有りました。
ま、最もボクも以前友人たちと数回行ったお店の外国籍のママさんから
「あなたたち、最初はどうして来るたびにケンカしてるの?って思ってたわ。」
と言われたのですが。
確かにちょっとメートルは上がってましたけど、仲良く話してただけなんですけどね。😢
もひとつ。
これはボク自身の体験ではないのですが、当時同じ研究室だった大学院生が
「昨日隣の中国人の留学生にめちゃ怒られて、参ったよ。」
「え?何かヤラかしたんですか?」
「いや、うちの洗濯機が壊れたから、貸してくださいって言っただけなんだよ。」
因みに当時学生が住むようなアパートでは、洗濯機はいわゆる二層式で、部屋の外にあるのが普通でした。
事情を聴くと、当時(40年位前)の中国からの留学生は日本で研究するために来ている講師とか助教授クラスの方で、日本で購入する家電は国に持ち帰るために購入する超貴重品だった由。
それを、気軽に「貸してください」という異邦人は許せなかったという事だったらしいのです。
当時は半導体やウオークマン等の日本製品が世界を席巻していた時代。
パソコンも大学や大学や企業で普及し始めた頃でした。
個人ではNECの8001という8ビットCPUのPCを理系の学生の一部が持ち始めた時代です。
タモリや松田聖子がパソコンのCMをやっていたなんてねぇ。
こうやって書いてても、中国製の携帯や家電が日本で普及している今では考えられないことですねぇ。
2007年の北京での会議の話題の一つは中国企業による違法コピーの防止策。
まだ2000年代の初期は意匠登録を含めたいわゆる”Copyright”の規制の対象に中国を含めていなかった企業も少なくなく(うちもその一つでした)、結果うちの場合は同じデザインのリモコンのコピーモデルが多数市場に出回ってしまったのでした。
まあ、今後は特許などの国際申請の際には中国も対象地域に含めるという事で対処することになったのですが、その時面白いと思ったことは中国の同僚が言った、
“They copy our design because they regard we are good.”
(良いと認めたからコピーしているんだよ)
つまり、「ベストセラーのデザインをパクる」と言うよりも「良いと認めたものを採用する」という感覚ということなのでした。
最もそれでは困るのでね。
当時は深圳地区を端緒に台湾企業から始まった外国企業の進出だけでなく、中国企業による自社製品の生産も急激に進んだ時代でした。
製品を開発、生産し、海外でも販売するためには単にモノを作るという事以外にもどういうことが必要なのか(例えば安全規格の取得など)は、その後20年をかけて中国企業の国際化とともに相互の理解が進んできていることの一つだとは思いますけれど。
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