リバ邸について考えたこと

少し出入りしていて、外から見た視点になります。

これについてはできれば各リバ邸管理人にみてもらいたいと思います。

リバ邸八王子の主張については同意できるところがあります。

「シェアハウスとして成功するため」の戦略として「リバ邸」の看板を掲げることはできると思います。戦略的にリバ邸のコンセプトを承継しつつ独自のコンセプトを掲げる。

炎上に弱いとは言われるものの、「リバ邸」という枠組みが崩壊したとしても、「リバ邸である」というメリットを失ったのみで、個々のリバ邸がシェアハウスとして存続不可能になるのはどれくらいかというと、実際には分からないですが存続可能なものはわりとあるでしょう。

「シェアハウスとして成功するため」の戦略として、あるいは「現代の駆け込み寺」として安定させるために、「シェアハウスとして成功できる人」を選別・面接し住人として入れた場合、「シェアハウスとして成功できる人」は強者でありますので、「現代の駆け込み寺」としてきた人という弱者(あまり使いたくない表現ですが、訳ありな人)に対して排他的になってしまう可能性は否定出来ないものになります。

「家がねーぜ」から始まったと聞いていますが、「シェアハウスとして成功するため・安定させるため」の戦略として「シェアハウスとして成功できる人」を選別・面接し住人として入れた結果、そのアンチテーゼとして「リバ邸八王子」という存在ができてしまったのではないでしょうか。そして、本当に「現代の駆け込み寺」として利用したい人にとって排他的になっているのではないかという疑問は私自身は感じております。

「リバ邸八王子」はよく批判される存在(私も批判する方ですが)ではありますが、人間関係的な問題で、なかなか批判できないことは否定できず、ある意味「リバ邸八王子」は第三者的な客観的(「リバ邸八王子」が客観的かどうかは別として)な視点から見る存在がリバ邸全体として・リバ邸から確立できなかった(NPO Libertyの問題を含め)からの問題を含んでいると考えていおります。

以上、加藤圭一郎からの意見です。

あまり内情に詳しくないのに偉そうな意見を述べてしまって申し訳ありません。

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