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#3 雪と墨

    はじまりは唐突に。木村に思いがけぬ声をかけられ、私は状況が理解できないまま一拍空けて、わかった。と返事をした。なぜ私なのだろう、もっと上手にできる子いるはずなのに・・・。校則でメイクをしたらいけないことにはなっていたが、している女子なんてたくさんいる。その中で私は整える程度で、毎日しているわけでもなく、そんな私が男子を女子に変えられる程の技量があるとは到底思えなかったけれど、服装などのスタイリングなども任されたことにより、やってみようという気持ちになれた。百合と時々万智と、遊びのつもりでやっていた靴下品評会がある時男子たちに気づかれてしまい、その後みんなが身だしなみを気にするようになっていたが、それがこんなところに繋がるなんて思ってもみなかった。

 私の役割が決まったものの、季節は夏休みに入ろうとしていた。この夏で全てが決まる、そう告げた担任の言葉を最後に、高校最後の夏、受験生の夏が始まった。学校での夏期講習で登校する日を利用し出店の試作やコンテストのPRの演出と2人のコンセプトを考える為にクラスの主要メンバーともいえる子達が集まることになっていた。比奈木くんはもちろん夏期講習に参加するタイプではないのに、その日わざわざ登校してくれていた。勝手に“協力”という言葉が似合わない人だと思っていた以前と比べ、春と夏をこの目で見てきた中で高校生らしさも垣間見える姿に面白さと可愛らしさを感じていた。私と百合が持ち寄った雑誌を参考に、周りの声も聞きながら、きっとお互いが着たくない、着せたくない拘りが強いのを感じ、無難ではあるが、浴衣を着せてあげることとなった。慧くんの浴衣はクラスの子が貸してくれることに、そして比奈木くんの浴衣は私が貸してあげることになってしまった。
 数日後、人にメイクを施すという初めての試みだけで手いっぱいの私はヘアスタイリングだけは百合に託し、自分の持っている化粧品では補えないものとウィッグを2人で購入し、自宅ではいつもとは勝手の違う着付けをしてあげる練習をして自分なりに慧くんと比奈木くんに対面する為の万全な対策をとっていた。

    次の集まりを翌日に控えた日、夏休みでがらんとしている地元のローカル鉄道の車両の中で私と木村は隣に座り、学校へ向かう。明日の話をしている中で思い出したように私は
「浴衣の下に着るタンクトップと短パン持ってきて欲しいって優くんに言っておいてくれない?」
と、言わなかったら至近距離で身体や下着を見てしまうところだった・・・!と思っていた矢先に、
「自分で言いなよ、アドレス教えてあげるから。」
安堵していた気持ちが一瞬で消え、いつも一筋縄ではいかぬ木村との会話に再び動揺していた。
「え、なんでよ。」
「え、女子はみんな慧と優のアドレスは知りたいものだと思ってた。」
「そう、なんだ・・・。」
彼は一体私と比奈木くんに対して何を考えているのかわからないまま、アドレスを教えたことを事前に言っておいて欲しいことを条件に、教えてもらった。木村から送られたメールに張り付けられていたアドレスは短く、名前と誕生日らしき数字が繋がったものであったが、見た瞬間私はあぁ、やっぱりとんでもない人なのかもしれない、と感じていた。名前のスペルが一般的な“yu”ではなく”yuh”になっていたのだ。
学校から帰り、夕方に意を決してメールをし、返事が返ってきた。初めての連絡はたわいもない業務連絡に過ぎなかったが、みんなが優くんと呼んでいることから私も優くんと呼ぶことにした。

    その日、小さな体育館のようなスペースに、みんなは集まった。2人分の浴衣の入った紙袋とメイク道具を抱え、わたしの挑戦が始まった。机を挟んで私と優くんは座り、初めてに近いくらいまじまじと顔を正面から見ていた。イメージを掴むために顔を見つめ続けることに集中していたのに、お互いの見つめあい耐久レースは彼の照れにより私の瞬殺に終わった。恋人でも好きな人でもないのに、こんなにも異性の顔を触るなんてことがあるのか。と笑いながらも、自分ではしないようなアイラインやつけまつげなどを施し、少しずつ変化していった。周りからかわいいという声をもらい照れ続ける優くんに、しっかりして!と檄を飛ばし、わたしは百合に髪型を託す。さすがの仕上がりとなり、つかの間の休息を終え、最後に着付けをする。体操服よりも薄着の彼は、板のように薄く、白く、横から両手で挟みたくもなるほど華奢で、女性らしさを出すには程遠い身体に、私は自分の浴衣を着せていく。練習した甲斐があり、なんとか様になっている。凹凸のない身体で帯がずり落ちないように思い切り帯を締める。同性にも抱きしめられる事が嫌だった私が、過程の中で仕方のないこととはいえ、抱きつくような仕草をしているのに心の中で驚きながら、優くんは女の子に変身した。みんながどよめき、わたしも優くんも恥ずかしがりながら、何かをやり遂げたような気がして喜んだ。一息ついて、今度は慧くんへ。1人すでにやったはずなのに、さっきとは違う、変な緊張感が何倍も押し寄せる。少しだけ勝手の違う男性浴衣に手こずりながらも、お互いがおどおどしているような雰囲気だ。そう考えると優くんはこの短時間で私のことを信頼し、受け止めてくれたことに有難みを感じていた。周りがみんな着付けをしているのをまじまじと見つめるなか、どんな気持ちで今見ているのだろうか、熊川ちゃんがぼそっと、
「お母さんみたい・・・。」とつぶやいていた。そう見えてしまうのも無理はない、中学生の時に好きだった子に対しても、周りが手を差し伸べない状況の中で1人寄り添う私はまるで母のようだった。ぎこちないままなんとか終え、殺風景な部屋が一気に夏祭りデートのような空間になり、がやがやと2人を囃し立てている。面白い経験がこれから始まるんだ、と高揚した、1日だった。

    新学期を迎えた。私は髪を切り、20センチほど短くなったショートボブの髪型を見て、滅多に会話しないギャル系の子が猛烈に称賛してくれた勢いにのけぞるほど嬉しかったが、優くんからも
“髪切ったんだねぇ”
とメールが来た。連絡先を交換したその日から不思議とコンスタントにメールを続けていた。お互い返信が早いわけではなく、すごく心地よい頻度でのやり取りのなかでも、
“髪に自分が埋もれているような気がしてね”
“確かにあの頃の伴さんは埋もれていたよ”
と私のおかしな発言にも皮肉交じりに生意気に返してくるような間柄になっていた。

 どこからともなく発された提案でこの学年になって初めての席替えをすることになった。男子と女子の区別なく全員がランダムでくじを引いて決まった席はまさかの木村の隣だった。クラスの中でも1番に近いくらい田舎に住んでいた私たちだったが、この後結局卒業まで席替えが行われることはなく、何故か楽しそうに話す木村の田舎エピソードに最後まで巻き込まれることになった。教卓からほど近かったが、右を向けば百合と鈴香、左を向けば木村越しに慧くんも優くんも見える、必要最低限を要約するような、台風の目の隣は落ち着いた場所だった。(万智はすごく離れていたが彼女に距離は関係ない、授業が終わった瞬間に離れた暴風域から私の名を呼ぶ、振り向かずにはーいと返事をする。お決まりの流れだった。)

 9月に入ってからは毎日のように文化祭の準備が進められている。ある日、クラスのTシャツが完成し、届けられた。百合がデザインし、トランプのカードに名前を入れることになり、百合と私と数人で、休み前に絵柄を誰の名前にするかのあみだくじをした所までは関与していたが、その先は何も知らず、誰がどの配置になるかは全く知らなかったので、初めて見た完成品に驚いた。私と優くんの名前が隣り合わせになっている。百合が1人1人考えて配置したとは思えない、これもあみだくじなのか、業者がランダムで配置したものなのか、真相はわからないが、大きな偶然に隠れる、小さな偶然だった。そして優くんの表記されている名前は普通の ”yu” だった。彼は違う、とでも思っているのであろうか・・・。

 コンテストの実行委員から、掲示用の写真を撮るために、指定された日時に広い講堂へ集まるように言われた。講堂に向かうには1番遠いといっていいほどの教室から、荷物を運ぶのは大変だ、と思っていたが、2人が持ってくれた。それぞれとは話ができるが、4人で歩く廊下は普段よりも長く感じるほど、不思議な光景だった。講堂に着き、全学年の関係者が集まる騒々しいなかで、私はまた優くんと机を挟んで向き合い、準備を始めた。今日は照れないように頑張る!と意気込む姿に、頼みますよ、と笑ってしまいながらも、私はまた彼の瞼や頬に触れながら進めていると、男の子の声で私の名を呼ぶ声が聞こえた。

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