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”素材がよければ、 味付けは必要最低限で良い。”
以下は、”「言葉にできる」は武器になる”というコピーライターの梅田悟司氏の著書に載っていた一節です。
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”素材がよければ、 味付けは必要最低限で良い。”
という言葉から始まる章です。
話すべき内容である自分の思いがあるからこそ、 言葉は人の心に響いたり、人の気持ちを動かすことができるようになる。
どう言うか、どう書くかではなく、自分の気持ちを把握した上で、自分の意見をどう伝えるか、どう書ききるか、でなければならない。
内なる言葉が磨かれ、語彙力も解像度も高まった段階にあれば、自分の気持ちをすんなりと外に向かう言葉へ変化できるようになる。
そのため、スキルやテクニックが不要になっていることもあるだろう。
〜略〜
こうした状況は、 料理に例えると分かりやすい。
超一流と言われる料理人は、例外なく次のような言葉を発している。
「素材の良さを活かすために、料理人は存在している。そのため、素材が良ければ、味付けは必要最小限で良い。
むしろ、よい素材を見極める目利きの力こそが、料理人の真髄である。」
その一方で、料理人がこんな発言をしていたら、あなたはどう思うだろうか。
「 私は料理人としての最高のスキルとテクニックを持っている。
そのため、どんなに素材が悪かろうが、顧客が満足して買える料理を提供することができる。プロの料理人としては、当然のことだ。」
この言葉を聞いて、良い気分になる人は少ないだろう。
〜略〜
良い素材が揃っていなければ、良い料理が生まれることがないように、思いや気持ちがなければ、良い言葉は生まれない。
その一方で、どんなに美しく、耳障りの良い言葉が並んでいようとも、心から思っていないことであったり、相手を騙してやろうという邪な気持ちから発せられたものならば、意味がないだけでなく、有害ですらある。
ここで言われている「良い素材」というのは、「思いや気持ち」のこと。
思いや気持ちに、どれだけの熱量と純粋性があるかというのは、大事なことだと思っています。
よく見せること、美しく見せることも大事で、
だけど、蓋を開けてみたらということもたくさんある。
できることならば、
内外一致した状態の言葉を使えるように、
そしてそういう生き方ができるようにしたいなと思いながら読んでいました。
また、この部分
”話すべき内容である自分の思いがあるからこそ、 言葉は人の心に響いたり、人の気持ちを動かすことができるようになる。どう言うか、どう書くかではなく、自分の気持ちを把握した上で、自分の意見をどう伝えるか、どう書ききるか、でなければならない。
内なる言葉が磨かれ、語彙力も解像度も高まった段階にあれば、自分の気持ちをすんなりと外に向かう言葉へ変化できるようになる。そのため、スキルやテクニックが不要になっていることもあるだろう。”
この辺りはもう、香り師で伝えていることそのままでもあります。
そして実際にそういう結果が起こり得ます。
決してスキルやテクニックが不要とは思わないのです。
ただ、大事なものが抜け落ちていることを日々色々な場面やSNSを見ていても、多く感じるというのは正直なところ。
大切なものを大切にする。
今日も意識して過ごしていきたいところであります。
いつもありがとうございます。
さら
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