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台湾・邂逅(kai-koh)記 ③

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「あたし英語と中国語が少しできるから、彼女にソーダのこと説明してあげればよかったわ」
「ン?」
オレはスプリッツアーをぐいと飲み干した。
「外国語ができるんだ?」
「ええ、主人の関係で台湾に住んでるんです」
(ほほー、人妻ね)
「ご主人は商社か何かにお勤め?」
「いえ、国交の関係で台湾に日本の大使館がないんです。だから、その代わりに協会というのがあって」
「外務省の外郭団体みたいな感じ?」
「そうなんです」
「そこにお勤めなわけね」
「もう2年経っちゃいました。主人から台湾に赴任するって聞いた時、最初どうしようって思っちゃいました」
「ふーん。で、外国語ができるのってどうして?」
「あたしスチュワーデスだったんです」
「あ・れ・ま」

この時初めて彼女の顔をまともに見た。紺色のリボンで結んだセミロングの髪が色白の肌によく似合う、いかにも良家のお嬢さんといった顔だちであった。元スチュワーデスであったことから彼女をスッチーと呼ぶことにする。別にホントに呼んでたわけじゃないのだが。
スチュワーデスが食後の紅茶を配りはじめたので、オレはレモンスライスだけをもらい、スプリッツァーを作り直した。レモンで味に変化をつけて何杯も飲んでしまう。

「どこにいたの?」
「JALです」
「あっちこっち行ったんだろうな」
「ええ、仕事ですからねえ」

他愛もない話が延々と続く、そのうちお互いが今まで旅してきた場所の話題になる。
「この前トルコに行ってきました。とっても良かったです」
「へえ」
「でもね、周りのひとが私よりずっと若くてね、私一人が『あ、ヒッタイト文明だ。スゴイスゴイ』とかはしゃいじゃって、なんか浮いてました」
「ところでトルコだったらエフェソスは行った?」
「行きましたよ、きれいな所でした」
「あそこはねえ、古代は貿易港として栄えていたんだね。でも都市化の進行につれて、周辺の樹木を伐採し過ぎちゃって、山の土砂が港に流れてきて、港が埋まってしまったんだよ」
「ふうん」
「それで結局は都市そのものが衰退しちゃったんだね。エフェソスは環境破壊が都市そのものの喪失を招いたケースとして有名なんだよ」
「そうだったんですか。ところでわたし今度ケニアに行くんです」
「こりゃまた大胆な選択ね。でもどうして?」
「ほんとはエジプトあたりに行きたいと思ってたんです。でも外国人に対して発砲することもあって、主人があぶないからってキャンセルしちゃったんです」
「いい場所なんだけどねえ」
「行った事あるんですか?」
「エジプト…実はあるのだ、湾岸戦争の始まる前…」
 と二人の会話はにわかに加速を始めたのであった。

今度はオレの行きたい場所を話す番だ。
「オレさあ、地理的な辺境イコール精神世界の中心みたいな憧れがあって、だからそうだな…アララット山に登って、昇る朝日を見てみたいな。あれどこだったかな」
「イスラエルじゃないですか?」
「そうだったかな?とにかく中近東の国だね。徹夜で登ってご来光に向かって聖歌を歌うんだよ。オレはブッディストだから異教徒になっちゃうけどすごく興味があるねえ」
「あら、いけませんねえ」
「ン?」
「あたしクリスチャンなんです。プロテスタントなんです。他の宗教は邪教なんですよ」

なんてこった。ここでこんな話題になるとは思わなかったぞ。まあいい、オレの考えを聞かせてやろう。さらにスプリッツアーをこしらえながら話した。
「ええとね、仏教にはね色々な教典やら修行のやり方やら多くの選択肢があるわけで、その実行については結構自由なんだよ。でもね、行き着く先は皆同じなんだよ。悟りを得ればみんな最後はお釈迦様と同じ如来になっちゃうんだ。江戸時代に流行った立川流という宗派は理趣経という仏典を独自解釈した過激な教義で、幕府に弾圧されちゃったんだけど、それさえ性的なエクスタシーと菩薩の境地は同じであるという純粋な宗教観として、海外の宗教学者から評価されてたりするんだよ」
「ふーん」
「だからね。オレは他の宗教についてもあえて邪教視しないの。キリスト教でもイスラム教でも方法だけが違うだけで最後はみんな同じ所に到達するんじゃないかってね。だから邪教という言葉はあまり好きじゃないのだ」
「ごめんなさい。軽い意味で使っちゃったんです。私たちのあいだでは良く使うんですよ『あ、それ邪道』とか」
「ふむふむ」

それからお互いの宗教観について延々と話が続く。その締めくくりはこんな感じに終わった。
「私ってもともと宗教にあんまり興味がなかったんです。小さい頃はお寺なんかにも合宿したこともあるんですよ。キリスト教ってお洒落っぽいでしょ?大人になるとなぜかそういうのに惹かれてきちゃったの。だからクリスチャンになったんです。わたしホントは宗教が必要な人間じゃないかって思います」
「そういうことなのかもしれないねえ」
なんとも曖昧な結末に、にわか宗教論争は雲散したのであった、飛行機だけに。

オレは相当飲んでいたので、トイレに立った。スピーカーから機長の声が聞こえる。
「当機は高度1万メートル、時速1017キロメートルで順調に飛行しております…」
椎名誠も新幹線に乗りながら同じことを書いていたが、そうか、今までの二人の話は客観的にみると、摂氏マイナス数十度の極寒空間を、時速1017キロメートルでブッ飛びながら成り立っていたのか、想像するだにスゴイ光景ではある。

席に戻るとスッチーは週刊誌を読んでいた。しかし二人の沈黙は長くは続かない。いつのまにかどちらともなく切り出して、自然と会話がフル回転してしまう。こうなると飲んで成田まで寝てしまう当初の計画は吹っ飛んでしまった。聞くところによると、なんでも彼女の親が入院したとのことで帰国するらしい。

オレが静岡県在住で、熱海にも長い間暮らしたことがあるというと
「父が函南にセカンドハウス持ってるんですよ。でも冬はターンパイクが凍っちゃって大変なんです」
「ははーん。南箱根ダイヤランドだね」
「ええっ、すごーい、なんでわかるんですか?」
予想外にスッチーが驚く。そんな彼女の反応にこっちも可笑しくなってくる。
「ふふふふ、勘なのだ」
といいつつも、
(理由は簡単なのだ。函南の古い別荘地はそこしかないのだ)
と心の中でカラカラと笑っていた。

それからは彼女が話してくれた台湾での生活、ペット、JAL時代の経験など、どれもスッチーの人生観があふれていて、共感したり、それはちょっと違うんでねえのと軽く諫めたり、さながら付き合いはじめたカップルのようにお互いのことがおもしろくて次から次へと話題が途切れることが無い。

いつしか窓の外は真っ暗である。機体も相当高度を下げているようだ。成田への着陸も間近だ。オレはスッチーの席テーブルを畳んでやり、着陸モードに入っていった。


④完へ続く

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