#06多彩で魅力的なビッグメゾン「Dior」について②
どうも、こんにちは。GENです!
最近、寒さよりも暖かさ(暑さ)が目立つようになりましたね。
早めにパーカー着とかないと…と思いながら本日はロンTでした。笑
ということで今回はDior回パート2です。
お待たせしすぎたと思います。大変申し訳ございません。m(_ _)m
それでは見ていきましょう!!
Dior亡き後のヘッドデザイナーについて
クリスチャン・ディオールはブランド立ち上げ後、53歳という若さで心臓発作でこの世を去っています。
では、それまでに何をしていたかと言うと「次のデザイナーの育成」です。
1.イヴ・サンローラン
クリスチャン・ディオールの後任は若き天才イヴ・サンローラン。皆さん周知と思いますが世界的ファッションブランドYSLのデザイナーです。
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当時21歳という若さで大役を担ったサンローランですが、
1958年に「トラペーズ」ラインを発表したことでディオールに認められた才能を証明してみせました。
ですが、3年後に徴兵によってブランドを離れることになったといわれています。
2.マルク・ボアン
サンローランが徴兵によってディオールを去った後、その後を引き継ぐことになったのは、ディオールがもう1人気にかけていたデザイナー マルク・ボアンです。
![](https://assets.st-note.com/img/1650412277320-VAPoCLpQl6.png?width=1200)
いまやファッション用語として当たり前に使われている「Iライン」を作ったのは彼です。
「スリムリック」というラインがヨーロッパだけではなく、アメリカでも人気を博すほどでした。
スリムルックは、細身のスカートに長いスリムなジャケットを合わせ、ディオールのアルファベットコレクションを継承するかのような「Iライン」を形成します。
その後、28年という長い間、主任デザイナーとして活躍しました。
3.ジャン・フランコ・フェレ
長年やっていると飽きが出てくるわけでDiorは失速し、衰退していきます。
それを決定付けたのはマルセル・ブサックの破産です。
スポンサーを失ったディオールはまさに風前の灯状態。
そこに登場したのが、ベルナール・アルノーです。
この方はLVMHを買収したともされています。
分かりにくい方に簡単に説明するとルイ・ヴィトンの傘下にDiorが入りました。ということです。
そして、そんなアルノーが指名したデザイナーはジャン・フランコ・フェレ。
![](https://assets.st-note.com/img/1650413207020-Rv6Zop75Mh.png?width=1200)
1989年から8年の間はDiorの主任デザイナーとしてオートクチュール・コレクションを発表しました。
Diorの伝統を活かしながらも、いかにモダンを取り入れるかを考え伝統の上に新しい世界観を築きあげた人物です。
4.ジョン・ガリアーノ
1996年からは問題児ジョン・ガリアーノの登場です。
ジョン・ガリアーノはDiorにとっていわくつきの人物とされています。
1995年までGIVENCHYのデザイナーとして活躍しておりましたが
引き抜かれたそうです。
![](https://assets.st-note.com/img/1650413728217-ASjxLbktgd.jpg)
Diorの伝統を活かしながらブランドを再構築させたジャン・フランコ・フェレとは真逆のことをします。
それは、破壊。
彼が提案するデザインは完全にこれまでのDiorを破壊するような革新的なデザインでした。
しかし、この破壊は多くの素晴らしいデザインを生み出し、常にファッション誌の表紙を飾るような完全復活を遂げたのもジョン・ガリアーノの時代です。
![](https://assets.st-note.com/img/1650414024037-T6T4SrV4OW.jpg)
ところが、人種差別発言によって逮捕され、そしてDiorを解雇されています。
良い意味でも悪い意味でも大きな衝撃を与えたデザイナーとなりました。
5.ラフ・シモンズ
ジョン・ガリアーノの解雇によってしばらく空席となっていたデザイナーの椅子に座ったのはなんとあのラフ・シモンズです。
![](https://assets.st-note.com/img/1650414251812-WpahYmKXu5.jpg)
当時はJil Sanderのデザイナーを解雇されたばかり。
しかもオートクチュールの経験がないメンズウェア出身であり、
それでいて奇才ジョン・ガリアーノとは全く違うミニマリストともいえるラフ・シモンズが就任することは誰も予想できなかったとされています。
そんな彼のDior就任後のファーストコレクションは8週間という短い準備期間の中でも大成功を収め、この選択が間違っていなかったということを証明します。
6.エディ・スリマン
元々ディオール・ムッシュとしてメンズラインは存在しておりましたが、2000年よりディオール・オムのデザイナーに就任し、メンズウェアのトップにまで一気に押し上げたトップデザイナーです。
![](https://assets.st-note.com/img/1650415107403-g5hBASM6nq.png)
有名な逸話としてはFENDIやCHANELのデザイナーとしてモードの皇帝と呼ばれるカール・ラガーフェルドがディオール・オムを着るために過酷なダイエットをしたというものがあります。
こんな逸話が出てきてしまうほど、彼によるディオール・オムのコレクションは社会現象となるほどのものだったのです。
7.クリス・ヴァン・アッシュ
2018年までディオール・オムを率いたスリマンの後任です。
![](https://assets.st-note.com/img/1650415524319-DCxG5Ajx6o.jpg?width=1200)
彼はスリマンのロックテイスト溢れるDNAを継承しながらも独自のクラシックでエレガントな路線を開拓します。
スリマンほどの衝撃を与えるようなコレクションとまではいかないまでも、クリス・ヴァン・アッシュのコレクションも評判は上々でスリマン辞任の不安を払拭し、安定した成長を遂げていました。
これはなぜかと言うと、イヴ・サンローラン時代からスリマンのアシスタントに就いていたというのもあります。
近く見て、感じ、同じ時を過ごす中で彼に近いフィーリングが生まれたのでは私は考えました。
8.キム・ジョーンズ
ルイ・ヴィトンでストリートブランドのSupreme、クリストファー・ネメス、FRAGMENTなどとのコラボレーションを実現したことでも話題となったスーパーデザイナーです。
![](https://assets.st-note.com/img/1650415749035-Vbrh9G72Gt.png?width=1200)
ディオール・オムの大改革に乗り出し、なんとDior Homme(ディオール・オム)というブランドを無くし、Dior(ディオール)と統合するというブランドの統一化を図ったのもこの方。
キム・ジョーンズが就任したことによって世間から期待されていた数々のコラボレーションを実現していきます。
・ALYX
・STUSSY
・NIKE、
・sacai
など数々の驚きを提供していきました。
エディ・スリマンによって大ブレークしたDiorのメンズですが、エディが去った後もその火は消えることなくこうこうと燃え続けています。
![](https://assets.st-note.com/img/1650415977971-3y7uYmuDzf.png?width=1200)
いかがだったでしょうか。
長くなりましたが、かなりの年月を行っているブランドだからこそ、由緒正しき歴史があり、その時代に対してデザイナー1人1人が活躍してきたのだなと思います。
これからも様々なブランドに触れていき、新しい知識を身に着けていこうと思います。
もっともっと成長していきます!
閲覧ありがとうございましたm(_ _)m
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