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人を使って自分の価値をはからない

自分自身という存在ではなく、他人にどれだけ貢献したかで自分の価値をはかるところが人にはあると思う。

これについては、強弱あれど、「誰にでも見られることではないかな?」と思っている。
特に、自分に自信が無い人ほどその傾向にあるようだ。

かくいうわたしも、その一人であった。

自分に自信がある人は、他人がどう思おうとも動じず、自分の道を行く強さがある。
そして自分をブラさない軸を持っている。
だからこそ、「自分には価値がない」と思うこともないだろう。
自分を生きている人は自己完結しているのだ

でも自信が無い人はそうではない。
「価値がないと思っている」から、そして「自分で自分の価値を見出すことができない」からこそ、他人を使って自分の価値をはかろうとするのだ。

かつてのわたしは、「自分には何もない」とずっと思っていた。
加えて、何もないどころかマイナス、人としての当たり前や普通さえも感じることなく生きていくしかない人間だと、真剣に思っていた。

そのころずっと思っていたこと。
「何かしら、人に役立つことをしたい。」

そんなことばかり考えていた。
その心理の根本は、今にして思えば「人に役立つ人は価値がある人」という考え方だ。

「自分には何もない」と思っているからこそ、人の役に立って自分の価値を見出そうとしていたのである。

でも、他人を軸に考え、他人を基準にして生きたり価値をはかったところで、結局自分の価値を上げることはできないことに気づいた。

「価値」は人にどれだけ貢献したかで、その重さで決まるわけではない。
どれだけ貢献しても、役立つことをしても、結局人からの評価によって「価値」の重さが左右される。

そこを基準にしてしまうと、「人の評価」に振り回されてしまうのみならず、本当の自分を見失うことになりかねない。

役に立っても価値がある。
役に立たなくても価値がある。
どちらも同じ。

結局「価値」感とは主観だ。

例えば、自分に自信を持っている人は、自分を「価値ある自分」と無意識に認めている。
その自信に、根拠があろうがなかろうが全然関係ない。

「価値ある自分」の世界に生きているから、物事がうまく回りだす。
「価値ある自分」にふさわしい現実が現れるのだ。

みな生きている世界が違う。
それはこの世の中に対して思っている、主観の違いからだ。

ある人にとっては、世知辛い世の中かもしれない。
ある人にとっては、楽しくて幸せな世の中かもしれない。

どれも「本当の世界」とも言えるし、ある意味では「偽りの世界」とも言える。
自分の観方や感じ方次第で、世界が変わるからだ。

だから「価値」があるとか、ないとか、これも主観であり思い込み。

この歳まで生きてきて、実感しているのは、
「この世に生まれてきただけで、わたし達には価値があるのだ。」ということ。

何かができるから「価値」があるわけではなく、何かができなければ「価値」がないわけではない。

ただひたすらに、わたし達の存在そのものが「価値」なのだと思っている。

日本人には、無価値観を抱えている人が多いと聞く。
本人にとっては相当つらいことだろう。

でもこれは事実ではなく、思い込みだ。
思い込みで人生をつぶしてしまうのは、大変もったいないこと。

だからこそ、多くの人がいつの日か、その思い込みの世界から脱出して「自分を生きることができたら楽しいだろうな?」と思いながら、「過去の自分にも言い聞かせたい」と思った、今感じているお話し。




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