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信念が自分の生き方を狭める

「信念」辞書を引くと、「正しいと信じる自分の考え」「宗教を信じる気持ち。信仰心。」とある。

ここでは「正しいと信じる自分の考え」という意味で、考えてみたい。

かつてのわたし、特に10代~30代の頃のわたしは、この「信念」という言葉に縛られていたと思う。今にして思えば、本当にいくつもの信念があって、それを持つことで人生を何とか乗り越えてきた部分もある。

しかし、それがかえって「自分の生き方を狭めていたのではないか?」と今では思っている。

これまでの過去の自分を振り返った記事にも書いたが、わたしは15,16歳の頃に、不安障害や強迫性障害等の精神的な症状に悩まされていた。これはその後20代にかけてずっと続くことになるのだが、この頃、わたしはこの症状を解消するためにいろいろなことを試みている。その試みの一つになっていたのが、意識の持ち方であり、いくつかの信念を持つことであった。

例えば、

物事は何でも中途半端に終わらせてはいけない。(完全に終わるまで遂行する。)

自分の問題は自分で処理するべきであり、人に助けを求めても問題は解決しない。

正しくあらねばならない。

苦労は買ってでもしたほうが良い。

人に迷惑をかけてはいけない。etc

これ以外にも上げるときりがない。しかしこうして見える形で初めて列挙してみたが、本当に自分を縛り、我慢を強いている信念だということが良く分かる。

この当時は、病んでしまった自分を責めている自分がいて、自分で何とか症状を治そうとして、列挙したような信念を持っていた。また、自分は人よりも劣っているという欠乏感も、それに拍車をかけていたように思う。

これらの一部は、当時本などから情報を得て、自分が「へー、そうなんだ。」と思って納得して取り入れていたと記憶している。本に書いてあることを鵜呑みにしていたのである。

しかし、今見てみるとなんだか窮屈で「これで本当に病んだ自分を癒せるのか?」といった内容である。よくよく見ると全く根拠がないというか、今の自分が過去の自分に対して言うとするならば、「そんな思い込み、さっさとやめなさい。」だろう。

今の自分が、かつての自分に対して言うとするならば、こんな感じ。

物事は何でも中途半端に終わらせてはいけない。(完全に終わるまで遂行する。)→自分が嫌々していたり、我慢しながら続けるくらいなら途中でやめても良いよ。あまり我慢しすぎると身体おかしくしちゃうよ。実際何度も無理しすぎて身体壊してるんだから。

自分の問題は自分で処理するべきであり、人に助けを求めても問題は解決しない。→自分で処理するのが無理な場合は、人に助けを求めなよ。人に迷惑かけると思っているでしょう?でもね、自分とは違う視点でアドバイスをくれたり、自分だけで対処するよりも建設的に事が運ぶかもよ?

正しくあらねばならない。→何が正しいのかは、その時によるよね。自分が正しいと思ったことが、必ずしも他人にも正しいとは限らないよ。正しさにこだわると、判断を見誤ることもあるよね。

苦労は買ってでもしたほうが良い。→わざわざ苦労を買う?そんなことしたら苦労ばかり押し寄せる人生になるから、そんなこと思わないほうが良いよ。

人に迷惑をかけてはいけない。→生まれたときから人に迷惑かけてるじゃない。生きていく上で、誰かに迷惑をかけないで生きていける人なんていないでしょう?お互い様だよ。

その他にも、「~ねば」「~すべき」といったことも、本当にたくさん持っていた。これも信念と言えるだろう。

いわゆる「不合理な信念」

これらの信念は、もしできなかった場合、自分責めにつながる。

「自分はこんなこともできないのか?」という風に。

精神的な症状に悩んでいながらこういった信念を持ち続けるということは、さらに自分を苦しめる行為なのだが、当時は全くそんな自覚もなくむしろ良いことと思っていた為、自分をさらに追い込み、症状を悪化させていたのではないかと思う。

このある種のこだわり、思い込みは、自分の考えや行動を制限する。

それ以外の考え方を受け入れないからだ。ということは本当は生きていく上でいろいろな選択肢があったにも関わらず、それを信念に照らし合わせて、最初から無かったかのように削除してしまっている、ということである。

色々な可能性があるのに、信念に合わないものは見えていない、いや見ようとしない、といった感じだ。

信念を持つことを決して否定しているわけではない。それがあることで人生を切り拓けることもあるのだから。

しかし、わたしのように根拠なく思い込んでいる場合は、良い方よりもむしろ良くない方に物事が運びやすいように思う。

もっと柔軟にもっと軽やかに、縛られない考え方ができるようになると、自分が自分を責めることなく、自由に生きていけるのではないか?と思っている。

「信念」も一種の思いぐせ。

こだわっていることや、これは正しいと思うことがあった時は、なぜそう思うのかを考えてみると良いかもしれない。意外と人からの影響でそう思っていたり、根拠なく思い込んでいたりすることもあるだろう。

不要な思考のくせを削ぎ、精神的に解放されると、また違った人生が見えてくるかもしれない。




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