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自己紹介 "LIFE IS FASHION-1-"

はじめまして、つがさんと申します。
現在は愛媛県松山市にて19年目になるアパレルショップを運営しております。
Twitterでは『ファッション7割モテ3割』といったスタンスで1年4ヶ月ほど発信しております。

1976年生まれ
セレクトショップ UNCHAINオーナー
嫁1人 犬1人
趣味 :  美味いものめぐり(肉、ラーメン、カレー、ピッツァ)、筋トレ、筋トレ飯考案、写真撮影、自己啓発..etc
HSS型HSP

初回は自己紹介ふまえ、"LIFE IS FASHION -1-" を簡単に綴りたいと思います。
19歳。アニエスやポールスミスなど比較的安価な百貨店ブランドしか買ったことなかった自分が初めて訪れた“セレクトショップ”。そこでカッコいいスタッフから20万のレザージャケットを接客され、取り置き〜お買い上げしたことをきっかけに洋服というかファッションに興味を持ち出します。確かキャサリン・ハムネットのシープスキン。

(左から)HELMUT LANG, Alexander McQUEEN,Dirk Bikkembergs,KEITA MARUYAMA,MASAKI MATSUSHIMA 

時はDCブランド全盛期。百貨店以外では古着屋やB系ショップくらいしか行ってなかった私の前には新鮮な景色が広がりました。行きつけとなったそのショップにはアルチザン系のCarol Christian Poell、ミニマリズム系のHELMUT LANG、アヴァンギャルドなAlexander McQUEEN、アントワープ系のAnn Demeulemeester、Dirk Bikkembergsなどと、MASAKI MATSUSHIMA、PPCM、KEITA MARUYAMAなどのドメスもラインナップ。系列店にはUNDERCOVERやA BATHING APEなどの裏原ブランドも取り扱いしてました。他店舗ではジャン・ポール・ゴルチエやヴィヴィアン・ウエストウッドなんかも買ってた記憶があります。

MILKBOYのカタログ-MILKBAR-

そのセレクトショップに通い始め3ヶ月ほど経った頃。MILKBOYやW&LTなどを取り扱う新店舗を出す予定が浮上。「好きなブランドに囲まれた場所で楽しみたい」「ならスタッフになるしかない」そんな欲求がふつふつと湧き、学校の空いた時間も毎日のように通いました。スタッフになることを1年間オファーし続けたある日、「人手足らないから手伝う?」とスタッフ。「マジ?やっときたー!!」と夏休みの繁盛期をきっかけにアルバイトをスタート。結構いいポジションにいた当時のバイト先のマックには「ひと月でクルー育てるから辞めさせてください。夢だったんです」なんて青っぽい言葉を吐いたことを覚えています。

入店してからは、「バイトでは終わりたくない。卒業したら社員になる」「次の店長は自分だ」その気持ちがモチベーション。認められるために、お買い上げいただくためにどうすればいいか?そのトライアンドエラーの連続。服を持って繁華街にナンパしに行ったり、他ショップのオーナーに営業行ったり。バイトで社員のポジションを超えたいと思ってました。その時の時給は650円。 アルバイトは着用する洋服すべて定価。でもそこにいられるだけでありがたい。好きな洋服を買うために、仕事終わって夜間に本の配達したり、交通整備したり。いくつか掛け持ちしました。

CLUBで行われた自ショップのファッションショー。会社のスタッフや仲間たちと。(右端が私)

大学卒業と同時にその店の三代目の店長に就任。モードとストリートを融合させたショップはまさに今経営してるセレクトショップの前身だったように思います。当時は裏原ブランド最盛期。東京や大阪のショップスタッフほどの苦労はなかったものの、私のいる街でも洋服を手に入れたい威勢のいい方々から店の前に街宣車横付けされたり、軽い脅しは頻繁にありました。勤めていた会社では、パリコレブランドやミラコレブランドも扱っていたのですが、ストリートカルチャーにまみれた私はNYブランドが大好き。

当時のジェレミー・スコットと私

地元でジェレミー・スコットを接待させてもらったこともあり、いつしか本場に行きたいと思うように。

ある時、それを察知したかのように社長が「一緒にNYいこう!」と誘ってくれました。初海外初NY。ここからさらにファッション熱が加速します。当時VUITTONのデザイナーになって数年のMARC JACOBSや上記のジェレミー・スコットのランウェイ〜アンダーグラウンドなブランドのショーまで社長に引っ付き、くまなく足を運びました。

MARC JACOBS RUNWAY

展示会も含めると、滞在した一週間で50会場以上は行ったと思います。リル・キムやジェニファーロペスに凸してセキュリティに突き飛ばされたり、当時の自分は怖いものなしでした。居眠りで地下鉄乗り過ごし現地人に囲まれた時は「詰んだ」と思いましたが、なんとか生きて戻れました。高級ブティックを巡る際のマナーやNYという土地の懐の広さを味わえたのも感慨深かったです。それから3度ほど同行させてもらいましたが、「本当にありがたい経験させてもらった」と社長には今でも大変感謝してます。

そこからスタッフを育てつつ、数店舗任されるマネージャー業に。数年かけて、「トラッド系」「ロックンロール」「裏原宿」「スケーター」「インポート」「レディース」「ミリタリー」色んなショップを体験させていただきました。ショップがラフォーレに入っていたこともあり、デザイナーや芸能人、スタイリストとのトークショーやファッションショーなどのイベントも数々経験させていただきました。

と、文字にすれば順風満帆な私のファッション人生に大きな挫折があったのもこの頃です。ファッションと関わっていられれば幸せだった頃とは違い、売上目標の達成やスタッフの育成など成すべき仕事に追われまくる日々、気付かぬうちに心身がすり減っていたのでしょう。

あるきっかけでパニック障害を発症してしまいました。そこから更に元々痛めていた首の状態も悪化し、頚性神経筋症候群という病に発展。このままでは日常生活もままならない…そんなピンチから救ってくれたのもやはりファッションでした。

苦しみながらもマネージャーとしての仕事を続けていたある日、社長から事務所に呼ばれ、独立のお話をいただきました。私自身骨を埋める覚悟だったのでいきなりの話にその瞬間、頭上をヒヨコが回りましたが、「挑戦しよう」二つ返事で引き受けることに。不安はありましたが、お世話になった会社やメーカーの方々、お客さまに育ててもらった大きな財産があったから、自分は一人じゃない。そして改めてファッションと一から向き合う中でパニック発作は徐々に治まって行きました。ここまででざっと10年くらいです。早足で進めてきましたが、この続きはまたいつか。

現在の私の強みをお話しますね。それは…「ファッションの未来が見える」ということ。嘘でしょ?と思われるかもしれませんが本当なんです。

独立後、デザイナーと直で言葉を交わしていくことで「洋服の背景をしっかり伝えたい」という気持ちが加速しました。ブランドの根本に触れ、作り手の意図を汲んだ上で、それをお客様に伝えることに力を注ぎました。それを繰り返すうちにどんどんファッションの先読みができるようになり、「次来るブランドはこれ!」「このデザイナーさんとコラボしよう」「このデザイナーやディストリビューターをつなげたらきっと面白い」など、自分でも驚くほどファッションの視野が広がりました。

「ファッションの未来が見える」=着る人のファッションの未来も見える

この能力だけは誰にも負けることはないと自負しています。「ただ何となく似合うから選ぶ」という受動的なファッションを抜け出し、背景を知った上で選ぶ服を身につけることでより幸福度が上がる。そして当然、モテる。そのことを一人でも多くの人に伝えたい。

私のノートでは、上記の10年と、この後の18年、毎月300人接客してきた経験を基にしたファッション知識とモテについて今後発信していきます。ノートを見てくれる皆さんのお役に立て、また気付きになれば幸いです。今後ともよろしくお願いします。


最後に
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