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人生の大決断その1・受動態もあやふやな不登校からの大学受験

中3の学内模試の順位は下から2番目だった。学年ビリでもなければギャルでもない。偏差値30いくつと言ったところだろうか。それもそのはず。私は中学1年の夏休み明けから学校を休みがちで、中学2年の冬には完全に教室から撤退していた。
学校に行かなくてもちゃんと勉強している不登校の方もいるが、私は勉強そのものに対してノイローゼ状態だったので全くしていない。故に成績が悪かった。最後に受けた英語の授業は、これから受動態を本格的に学ぶ直前だった。受け身が取れない女である。

高校入試は志望校決めで親と大いに揉めて、お互いの希望ではない併願校に進んだ。どちらも幸せになれない。
併願校の学科決めでも大いに揉めた。私は普通科、親は特進科を希望していた。特進科に落ちたら点数次第で普通科に合格できるシステムだ。先生から説得されて、無駄に揉めないために特進科にしておこうと言われた。暗に「どうせ受からないから」と言われたのだ。
私はこの説得に不服だった。特進科と言えどもレベルの高い学校ではない。受かるに決まっていると本気で思っていた。学内模試で下から2番目だったのに受験に対する自信だけは謎にあって、その自信だけで入試を突破してしまった。受かったのに喜べない。



入学した学校では周りがみんな優秀そうに見えて辛かった。ストレスで顎関節症になるし、片目だけ二重になるし、入学最初の模試では吐きそうだった。テスト中、普通にえずいていた。この模試の数学で3点を叩き出す。なぜ受かったのか。あの日の自信はどこにいったのか。

ここから周囲との比較癖を爆発させる。
進学校だ。とにかく模試の回数が多い。その度に偏差値を突きつけられ、学内の順位を提示された。辛かった。1年生の夏休み明けには、また別室登校になっていた。こんなはずじゃなかったのに。やり直そうと思ったのに。
自分に大学は行けないだろうと思った。志望校の欄には偏差値30〜40台の大学を連ねる。専門学校に行くことも検討した。親も同意していた。なぜ特進科を受験させたし。

専門学校は鉄道系のところに興味があった。鉄道会社が好きだったからだ。でもひとつ困ったことがある。高卒だと運転士コースしか志望できない。私がやりたいことは本社勤務の方なのだけれど、それは大卒じゃないと受験資格がなかった。そんなことを考えていると、専門学校に行くメリットがなくなってくる。
実家に住み続けるのも精神的にキツそうだった。逃げたい。そう考えたとき、やっぱり大学を志望しよう、東京の大学に行こうと思えた。高校2年の秋だった。



今から5教科7科目勉強している暇はない。国立は諦めた。文系私立の受験科目をなるべく絞っていけるところを目指した。
そうなった時に外せないのが英語だ。受動態からまともに勉強していない英語。苦手な数学より偏差値が低い英語。偏差値が37の英語。
これから逃げることはできない。残りの1年、英語だけを勉強し続けることになった。先生の指導が本当に良くて、受験直前には偏差値が59になった。センター試験で6〜7割は安定して点を取れるようになった。人から見たら大したことはないかもしれないけれど、これまでまともに勉強してこなかった身としてはとても嬉しい。

無事に東京の大学に進学した。偏差値は50程度で、世間的にはFランク大学だけれども、そこの大学に進学できて本当によかった。

最後に、当時はいろいろあったけれど、大学受験を許してくれた両親に感謝する。

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