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If (I = 'Depression') {... } /*うつ病だからって人生終わらない*/

 私の夢はバリバリのキャリアウーマンになることだった。専業主婦だった母親を見て、専業主婦だからこその辛さがあると思ったからだ。だから私は自分で稼ぐ。誰にも頼らず一人で生きていく。そう思っていた。でも私は社会人2年目で、うつ病になって会社に行けなくなった。

 新卒でエンジニアという仕事を選んだのは、お給料がちょっとだけ良くて、手に職をつけられると思ったからだ。お給料だけで考えたら営業職を選んだ方が良さそうだけれど、口下手に営業は到底できそうにない。幸い、時代はエンジニア不足。文系卒の未経験でも雇ってくれるところは大量にある。なんの取り柄もない私にはありがたい限りだ。ここで経験を積めば、この会社でいずれはやっていけるようになるだろうし、転職も可能だろう。フリーランスにだってなれるかもしれない。将来の選択肢は多い方がいい。そう思っていたのに、私はたった1年半で体を壊した。
 2ヶ月半休職した。貯金が減っていくのが怖くて、本当はまだ回復しきっていないのに復職した。結局フルタイムに戻れなくて、1年間ずるずると時短勤務をする。また貯金が減っていく。精神的に病んで時短勤務にしているのに、時短勤務によってお金の不安が発生し、さらに不安定になっていく。何をしているのかわからなかった。
 最後の切り札として、会社に障害者雇用枠を設けてくれないか打診した。ちょうど会社の規模が大きくなり、障害者雇用が努力義務から義務に切り替わるタイミングだった。私を雇用すれば国に払う障害者雇用納付金が減る。それで少しお給料を上げてくれないか相談した。奨学金が払えない。
しかし、会社側の返答は「あなただけを特別扱いすることはできません」だった。「そうだよね」と思った。反対に、「特別扱いじゃなくて、できないから困っているのに」とも思った。私はそのまま退職した。

 バリバリのキャリアウーマンなんて、最初からなれなかったんだ。私にそんな体力も、バイタリティもなかった。忘れていた。
 中学生の時も、高校生の時も、まともに学校に行けていなかったじゃないか。精神科に通って、入院もしたじゃないか。たまたま大学時代は調子が良かっただけで、私は「いつでも体を壊す素養がある人」だった。元気だったから忘れていた。
 私は「不本意なゆるキャリ」になるしか無いんだろうか。

 転職活動は退職してから始めた。もう毎月給与明細を見て泣く生活をしたくない一心で唐突に辞めたからだ。後悔はなかったが、貯金もない。我武者羅に転職活動を進め、早めに決めることができた。エンジニアという需要の有り余った仕事が私を助けてくれたのだ。
 うつ病を会社に伝えずに働いていける気がしなかったので、障害者雇用枠の仕事を選んだ。お給料は新卒の頃に戻る。でも、時短勤務の時よりずっと良かった。それでも、将来は不安しかない。
 将来が不安なんて、みんな同じかもしれない。そうかもしれないけど、以前よりもっと不安に感じる。障害を持ちながら働いている人が、私の周りにいないからだ。もしかしたら気づいていないだけでいるのかもしれない。障害内容は個人情報だ。マイノリティである以上、自ら公表する人もそんなに多くない。障害を持っている人がどうやって生活しているのか、ロールモデルがいないことで、この先が不透明で不安だった。もしかしたらずっと新卒並みのお給料で、一生非正規雇用を転々とするのかもしれない。バリキャリの正反対ではないか。

 もし、私がうつ病にならなかったら、と考えることがある。
 でも、それは多分、これまでの私を否定することと同義だ。中学生の頃から精神科に通って、精神疾患と隣り合わせだったのに、今更うつ病にならなかったらと考えてもどうしようもない。だから、うつ病である私を肯定していくしかないのだ。
 今、私がやるべきことは、うつ病である自分を受け入れて、その中で最善の生活をしていくことだ。将来の選択肢は多い方がいい。配られた手札でなんとかして行くしかない。もう割り切るしかないのだ。前を向いて行くしかないのだ。あわよくばその中で、誰かのロールモデルになれたらいい。あとについてくる誰かが、私を見て少し安心してくれれば、または反面教師にしてくれればいい。
 そして、もっと言うと、障害を持つ人が自分らしい生活・働き方・生き方ができるようになればいい。私にはそんな社会を変えられるような力も権力もない。だから、私ができる小さなことで、そんな変革を少しでも推し進められたら、少しはこの選択が間違っていなかったと思えるような気がする。


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