記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

居場所を失うということは、希望を失うということ―映画『あんのこと』

居場所を失った経験なら、私にもある。それはたいそうなことじゃなくて、例えば父親と連絡がつかなくてもう頼れないとか、病気で会社を辞めて社会との繋がりがなくなったりとか、恋人と別れて絶対的な味方を失った気分になったりとか、そんなことだ。誰しもが少なからず、そんな経験をしたことがあるだろう。
でもある日、全ての繋がりが音を立てて崩れていったら…?

映画『あんのこと』

主人公のあんは母親に虐待されて育ち、売春をし、覚せい剤までやっていた。覚せい剤使用で取り調べを受けた際に出会った刑事・多田羅が主催している自助グループに入ることになり、事態は少しずつ好転していく。
自助グループに取材に来ていた週刊誌の記者の紹介で介護施設で働き始めたり、小学校に通っていなかったけれどもスクールに入って学びなおしをしたり、遂には家を出てDVや虐待被害等で困っている人が集まるマンションに入居することができた。
薬をやめること、毒親から逃げることは簡単ではない。でも、社会との繋がりを得て、人の優しさに触れて、あんはこれからしっかり更生していくはずだった。

しかし、ここで訪れたコロナ禍。働いていた職場は感染リスク対策のため人員を減らす必要があり、非正規職員だったあんはしばらく出勤できないことになった。また、通っていたスクールも休校。その上、多田羅が自助グループ内での立場を利用して利用者に性加害を行っていたことが発覚し、グループもなくなってしまう。これまで着々と社会復帰に取り組んできたあんだったが、ここにきて自室にひとりきりの生活になってしまった。

以下、ネタバレあり

マンションでひとりでいたある日、同じマンションの住人だろうか、「子供を預かってほしい。誰にも言わないで!」と強引に子供を預けられてしまう。
こんなことが突然起こったら私なら到底対処できそうにないが、これまで祖母の介護や介護施設で働いてきたあん。持ち前の面倒見の良さで子供のお世話もこなしていく。居場所がなくなってしまったあんに対して、「母親代わり」という役割を与えられたことによって、あん自身も気持ちが安定したのかも知れない。
しかし、子供を病院に連れて行こうとした際、あんは自分の母親と遭遇してしまう。母親は切羽詰まった様子で、「おばあちゃんがコロナかもしれない。保険証無いしどうしよう。お願いだから帰ってきて!」と訴える。
母の虐待から守ってきてくれた祖母を無下に扱えなかったのだろう。あんは実家に顔を出すことにした。しかし、家にはいつもと変わらない祖母の姿。家に入るなり母の態度は変貌。子供を奪い取り「売りやって来い!金を渡せ!」と暴力をふるう始末。子供を返してもらうため、あんは仕方なく売春をする。
数万円を握りしめ子供を返してもらうべく家に帰ってきたあんは、子供が家中どこを探してもいないことに気づく。寝ていた母親を起こして聞くと「泣いて煩いから、児相に預けた」と一言。あんは「母親代わり」という役割すら失ってしまったのである。

積み重ねたものを、自ら壊してしまう

何もかも失ってしまったあん。その状況に耐えられなかったのだろう。やめていた覚せい剤を使ってしまう。
あんは日記を書いていた。自助グループで「覚せい剤をやらなかった日には丸を付けましょう」と教えられていたからだ。これまでずっと「○」をつけてきたあん。この日、彼女は「〇」をつけられなかった。自分がこれまで積み重ねてきたものを、壊してしまった。ガスコンロで日記を焼いた。そして、マンションから身を投げた。

健全な居場所と役割に、私たちは生かされているのかもしれない

この物語に救いはない。
多田羅と出会って確実に良い方向に向かっていたはずなのに、全てが壊れてしまった。何かひとつ違ったら、何かひとつ彼女に居場所や役割が残されていれば、運命は変わっていたかもしれないのに、あまりにも残酷だ。

私たちは、多分、何かに生かされている。家族かもしれないし、友人や恋人かもしれない、職場かもしれないし、それ以外のサードプレイスのような場かもしれない。でも、みんな居場所があって、何かしらの役割があるから踏みとどまれる。私たちは本来、とても脆いのかもしれない。

人はひとりでは生きていけないとよく言う。この映画にはそれが詰まっていると思う。私たちが健全な居場所を、健全な役割を選べるように。他の誰かに健全な居場所を、健全な役割を与えられるように、私たちは動かなくちゃいけない。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?