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彼が上級国民じゃなかったら

2019年4月、私が新社会人として働き始めたちょうどその頃、池袋暴走事故が起こった。
9人が負傷し、母子2人が死亡した。
2021年9月に判決が言い渡されるまで、被告は「上級国民」と呼ばれ、社会から叩かれた。

私はこの事件に対する社会の反応が、恐怖で仕方なかった。
交通事故は大きなものから小さなものまで、日本中毎日どこかで起きていて、誰かが亡くなっている。
無差別で悪質な事件さえ、今の世の中では珍しくなくて、事件直後は社会に衝撃を与えてもあっという間に風化し、対岸の火事となる。

しかしこの事件に関しては火種が消えることなく、「上級国民」という言葉とともに燃え続けた。

まるで何かの当てつけかのように、「上級国民」に敵対心を向けていた。


彼が上級国民じゃなかったら

上級国民の定義は置いておいて、もし彼が上級国民じゃなかったら、ここまで彼に非難が殺到しただろうか。
90歳の人間が暴走事故を起こしたとしたら、それは社会的に運転免許のあり方とか、高齢社会の「足」をどう確保するかとか、問題提起は発生しただろう。
しかし、こんなにも彼個人が攻撃されることがあっただろうか。

社会は多分、彼に対して怒っているのではない。「上級国民」に対して怒っている。憎悪している。
上級国民ではないものが、上級国民に対して。
いや、本当は誰かに対して怒っているのではないかもしれない。
ただ漠然と、社会や生活の不満を、たまたまそこにいた上級国民という的にぶつけているだけかもしれない。

そんなの通り魔と同じじゃないか。


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事故から3年以上たった。私は新卒で入った会社を辞めて、違うところで働いている。身の回りではたくさんの変化があったけれど、あの事故はずっと色濃く残っている。

ニュースになる度にTwitterでは「上級国民」がトレンド入りした。
この国の持つ者と持たざる者がはっきりと線引きされるようだった。

実刑判決が出たけれど、すごくすごく後味の悪い事件だった。
彼に対するSNS上での誹謗中傷が情状酌量となり、2年減刑となったのだ。

彼を上級国民として罵った人々は、果たして本当にこの事件の解決を望んでの発言だっただろうか。ただ自分の都合のいいサンドバッグとして扱っていなかっただろうか。
亡くなった母子に、二度目の痛みを与えていないだろうか。

一連の騒動で、持たざる者が持つ者に匿名を盾に怒りを向けているように見えた。
でも結局、持たざる者がさらに持たざる者を苦しめただけのようだった。



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鞍馬欄子(くらまらんこ)

■Twitter:@unbalance_orkid

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