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誰もが等しく世界の中心に

開店を待つ人が店の前に列をなす(少なくともコロナ以前はそうだった)人気の焼き鳥屋がニューヨークの中心地にある。

その前に並んでいると、すぐ後ろに並んだ日本人の女が、並んだ途端から、わざわざ大声で「もう五時なのになんで開いてないのー?あり得なくなーい?」「こんな待たせてまずかったら怒るわ。」「早く入れろって」などなどうるさい。

歩き回って疲れておなかも空いてイライラしているんだろうと寛大な心で気にかけないようにしていたものの、しばらくその宛のない愚痴を聞き続けているうちに、一体どんな女がそのように偉そうな態度を取るのか気になってきた。

ちらっと振り返ると、なんというか地味な見た目の若い女だったので、ちょっと面食らってしまった。そのように自分の価値を高く見積もるタイプは、もうちょっと派手できらびやかな人なのかと思っていた(勝手な偏見です、すみません)。

そしてその隣には今まで存在すら気付かなかった若い男が立っていた。独り言であそこまで愚痴を言えたらそれはそれで感服するけれど、そりゃもちろん言う相手がいてこその愚痴だよね。きっと、彼女のイライラは、焼き鳥屋さんだけに向けられたものではなく、この恐ろしくおとなしい男性に対しての色々も込められているのかもしれない。

それにしても、これほどの長い時間、愚痴を全てダイソン掃除機のような吸引力で吸い込み続けるこの男性もなかなかだよな、と感服した(ひょっとすると、その反応の薄さに彼女はイラついていたのかもしれないけれど)。

彼女の愚痴の裏に隠された本当の不満を知るすべはないけれど、表面に浮いてくる言葉はとにかく、自分は最高のサービスを受けるに値する人間なのだ、という前提を基に、それを与えないお店を罵るという一点に集中していた。そして、それを誰かに聞いてもらいたい、ということに。

それで、以前立ち寄ったアッパーイーストサイドの寿司屋でも、間違った方向に自分の価値を誇示したがる勘違い人間がいたなと思い出した。

日が暮れると途端に冷蔵庫の中みたいに骨から冷えてくる寒さが充満して、それ以上歩いていられなくなり入ったその寿司屋は、平日というのにとても混んでいて(再びコロナ以前のことです)、私と夫は入り口の横にある小さなテーブル席に通された。

しばらくして入ってきた若い日本人のカップルは、さらにドア側に近い窓とドアに挟まれた席を案内されていたのだが、毛皮でできたロシアの帽子・シャープカを被り、毛皮のコートの下に花柄模様のレギンスのようなぴったりとしたパンツをはいたその若い男は、申し訳なさそうに窓際のこの席しか空いていない故を伝える日本人の店員に、「や、ちょっとドクターストップがあって、だめなんすよね。」とイラつきを隠さずにいった。

店員も(私も)、ん?と一瞬理解できず、なんのドクターストップで何がダメなのでしょうか?と困惑しつつもそれを口には出さず、「えー、えっとー、あと三十分くらいお待ちいただければ、奥の方の席が空くと思うのですが。」と対応。

すると、「三十分?やばいな。大丈夫かな。」と更にしかめ面のシャープカ男。

「まぁ、やばそうだったらもう帰りますんで!」的なことをまるで脅しのような口調で言って、しぶしぶ窓際の席にコートを着たまま座った。座ってから、一緒に来ていた女に向かって「ドクターストップされてんのよ、寒さ。」と説明。

それよりなにより、ドクターに寒いところにいてはいけないといわれているらしいその男、店員とやり取りをしていた冒頭の数分間、ドアを開けっぱなしにしたまま話していたのはどういうことでしょう。ドアの横に座っていた私たちはとっても寒かったよ。ドクターストップはされてないけど。

奥に空席ができるのを待つ間、暖房の行き届いた店内の温かさにシャープカと毛皮のコートがやはり暑すぎたのか、三分も経たずにさっそくコートも帽子も取り、半袖の薄着姿で窓際に座ること三十分弱。それならもうそこに座ってお料理を食べたらよろしいのでは?と思うほど。

そればかりかその三十分弱の間に聞こえてきたシャープカ男の語りが、ニューヨークでいけてる俺的なものをしきりにアピールしていて、本当にいけてる男なら、あのような口調で奥の席早めに提供してくれなかったら帰ってもいいんだぜ、というわけのわからない脅しのような態度で、威張るようなことはしないんじゃないかなぁ、と両目を細めて査定するように見てしまう。

ドクターストップが事実としても、だからと言って食事中の他の客を追い出してまで、あなた様のために席を空けてあげましょうなんてできるわけがないことくらいわかるだろうに。

ニューヨークにどのくらいの日本人が住んでいるのか分からないが、ミッドタウンをうろうろとしている若い日本人には、フランクシナトラの歌う「ニューヨーク・ニューヨーク」の歌詞のように、この眠らない街で一旗揚げてやるぜ、またはここから自分の人生が変わっていくのだ、という気負いと、世界の中心にいるような高揚感と、ニューヨークに住んでいるというだけで途端にいけてる人間になった勘違いと、その反面やはり何者でもない自分との間の葛藤で妙に肩に力の入った人が多いような印象がある。

その中には実際に成功していく人間もいるだろうし、既に成功した人間もいるのだろうけれど。

気負いで肩ががくがくと鋭角にとんがるほどに張っているのは、決して悪いことではないし、これから来るであろう美しい未来に向かって突進していく姿も、迷走に入って長い私の目にはまぶしいくらいではありますが。

とはいえ、ニューヨークだろうがどこだろうが、明るい未来の光に照らされていようがいまいが、人にやさしく思いやりのある人間であれたらいいのにね、と思うのでした。

誰も世界の中心に存在している人なんていないのだから。

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