思わずクリックしたくなる記事タイトルを心理学的に考察
こんにちは、ポールです。
WEB上には思わずクリックしたくなる記事タイトルが多くあります。今回は、そのようなタイトルに、「認知的不協和」という心理的なメカニズムがどのように働いているのかを考察していきたいと思います。
いつもならChatGPTプラスと対話するところなのですが、課金をやめてしまいました。ちょっと値段が高いのです(月20ドル)。円安なので月に3千円かかってしまいます。毎月サブスクするにはいささか痛い金額です。そういうわけで今回は、ポールがすべて書いています。
最初にお断りしてくと、「認知的不協和」という概念自体は確立されていますが、適用の仕方やそこから得られる見解などは僕自身の考えがかなり入っています。いわば推論であり、仮説だと思ってください。
また、「ページビューを稼ぐ記事タイトルの作り方」という趣旨でもありません。身近な題材を例にして、心理学的なメカニズムを考察することが趣旨になります。以上、予めご了承下さい。
矛盾した状態を解消したい
まず、最初によくあるWEB記事のタイトル例を見てみましょう。
これは料理サイトのレシピ記事という体裁で、僕自身が例文を作っています。
A:普通の食材なのにありえないほど美味しい! 絶品コロッケの作り方
よく見かける、思わずクリックしたくなるタイプの記事タイトルだと思います。
テキストの記事だけでなく、YouTubeのサムネなどでも使われたりしていますね。
このタイトルを考察する上で、鍵になるのが「認知的不協和」という心理学の概念です。なので最初に、この概念を説明しましょう。
「認知的不協和」とは矛盾する複数の認知があるときに、それを解消したいと思う人間の心理です。
この「認知」を心理学的に述べると非常に長い説明になってしまうのですが、今回の記事の中では、「自分が認識しているもの」と考えて良いと思います。
例えば「仕事でミスをして上司から注意されたが、上司は穏やかな表情だった」という状況を考えましょう。
1つ目の認知は「ミスをしたので上司は怒っているはずだ」です。
2つ目の認知は「穏やかな表情の人は怒っていない」です。
この2つの認知は相反します。この状態が認知的不協和ですね。
認知的不協和は我々にとって不快感をもたらします。そのため、我々はこれを何とか解消する手段を考えます。
この場合であれば、「上司は厳しいことも言うけれど温かい人なのだ」と結論づけるのも一つの方法です。
あるいは「自分が考えているほど大したミスではなかった」とか、「今日の上司は機嫌がいい」という結論を出す人もいるでしょう。
人や状況によって様々ですが、ともあれ、矛盾した状態を何とか解消したいというのが、我々に植え付けられている心理なのであります。
タイトルの中にある認知的不協和
そこでもう一度、最初の記事タイトルを見ていきます。
A:普通の食材なのにありえないほど美味しい! 絶品コロッケの作り方
ここにある2つの矛盾した認知は何でしょうか。おそらく下記のようになると思います。
認知A1:普通の食材では作ったものはそこそこの美味しさしかない
認知A2:ありえないほど絶品の料理は食材も特別なはずだ
この2つの認知は矛盾しますね。認知的不協和が起こっています。
人によっては「いやいや、普通の食材でも俺は絶品の料理を作れるぞ。だから矛盾していない!」という意見もあるかとは思いますが、まあ、普通は矛盾します。ここは矛盾することにしてください。
では、この矛盾した状態、認知的不協和を解消するためにはどうすればいいでしょうか。「作り方にコツがあるに違いない」と考えたり、「こんなはずはない、嘘をついているのだ」と考える人もいるかもしれません。
でも、一番手っ取り早いのは、あれこれ考えるよりも記事本文を読むことなんです。記事の中に答えが書いてあるのですから(たまに書いていない記事もあるし、書いてあっても拍子抜けする場合はありますが)。
読者も当然、記事の中に答えが書かれていることを期待するので、そこで思わずタイトルをクリックしたくなる、というわけです。
これが記事タイトルにおける認知的不協和の仕組みです。
認知的不協和タイトルのバリエーション
認知的不協和の仕組みを考えるために、Aの記事タイトルを少しアレンジしてみましょう。
B:とても美味しい! 絶品コロッケの作り方
どうでしょうか。「普通の食材なのに」を取り去り、「ありえないほど」を「とても」に置き換えています。
全体的にパンチがなくなった感じがしますね。認知的不協和は起こっていないと言っていいでしょう。
似たような例文をもう一つ見てみましょう。
C:ありえないほど美味しい! 絶品コロッケの作り方
Aの例文から「普通の食材なのに」だけを取り去った形です。タイトル内の言葉同士が認知的不協和が起こしているわけではありません。
しかし、「ありえない」というかなり強い言葉を用いているために、我々の経験側や思い込みとの間にギャップを起こす可能性はあります。
認知C1:自分の経験上、ありえないほど美味しいコロッケはめったに存在しない
認知C2:ありえないほど美味しいコロッケが存在する
この結果、「そんなに言うほど美味しいコロッケが存在するのか? 」という疑問が生じて、思わずクリックしてしまうことは考えられます。
その点、Bの「とても美味しい」は、「まあ、たしかにおいしいコロッケは存在するよね」と読者にスルーされる可能性は高いです。
ただ、Cの場合でも認知的不協和が直接目に見える形で提示されているわけではなく、読者の経験則や思い込みという不安定な要素との対比になるので、Aに比べると、不協和の程度は弱いのではないか、と個人的には推察します。
もう少しアレンジした例文を見ていきましょう。
D:ありふれた食材なのに頬っぺが落ちるほど美味しい! 激旨コロッケの作り方
文章の構造は基本的にAと同じで、「普通の」を「ありふれた」に、「ありえない」を「頬っぺが落ちる」に、そして「絶品」を「激旨」に置き換えています。できるだけ印象の近い言葉に変換しているつもりですが、Aとよく似ていて、強い認知的不協和が感じられるのではないでしょうか。
本当は心理学の実験で、それぞれの語句が与える印象や強度を正確に測定して、それらが文章全体の印象をどのように左右するかを調査できればいいのですが、なにぶん、しがない個人ですのでそこまでの大掛かりなことはできません。そのため、あくまで推察ということになります。
E:冷蔵庫の残り物なのに家族が喜ぶ美味しさ! 我が家で大人気のコロッケの作り方
この例文も基本的にはAと同じ構造を持っています。しかし、AやDほどの強い認知的不協和は感じず、よりマイルドな印象を受けるのではないでしょうか。
その理由として大きいのは、おそらく「冷蔵庫の残り物でも美味しい料理は作れる」ということを我々が経験的に知っているからだと思います。
つまり、一見矛盾するような内容であっても、我々に馴染みがある現象にはそれほど強い違和感を感じない、そういうことが考えられます。
一方で、経験的に知っていることに対して、我々は共感を覚えがちです。とくに具体的な状況には「あるある」を感じます。
そのため、認知的不協和は弱まっても、共感に基づいて興味が起こる可能性はあります。
では、最後にちょっと極端な例を考えてみたいと思います。
F:捨てるつもりの食材でもありえないほど美味しい! 絶品コロッケの作り方
Aの例文をもとに、「普通の食材」を「捨てるつもりの食材」に置き換えましたが、「捨てるつもりの食材というのは傷んだ食材なのかしら」と想像してしまいます。
いったん、そのような想像が働いてしまうと、認知的不協和以上にまず嫌悪感が起こるのではないでしょうか。
通常、我々は傷んだ食材で料理を作ることはありません。美味しいかどうか以前に、健康上の問題になります。
また、このような健康上の問題がある記事は通常、メディアに掲載されることはありません。
その結果として我々が感じるのは「このような記事が掲載されるのはありえない」あるいは「許されない」という感覚ではないでしょうか。
こうなるともはや、記事本文を読みたくなるかどうかというレベルの話ではなくなってしまいます。
日常感覚にはそれなりの実績がある
我々の日常感覚は、今まで培ってきた経験則や知識に基づいているわけです。過去からの蓄積と言ってもいいでしょう。
それが認知的不協和のような矛盾した形で提示されていると、その不快感やストレスを解消したい気持ちと同時に、「そこに新しい知見があるのではないか」と思ったり、「自分の知らなかった知識があるのではないか」と感じることは十分に考えられます。
一方で我々は、日常感覚に頼って生活しているわけですね。そこには個人の経験則だけでなく、社会常識や科学的な法則も含まれています。それらを駆使して「今までどうにかこうにか生きてきた」のですから、日常感覚にはそれなりの実績があるわけです。
だから、日常感覚からあまりにもかけ離れたことを提示されると、嫌悪感や不信感を覚えてしまう。非常識だなと思ってしまう。
ただ、日常感覚に寄り添いすぎたことを提示されると、惹きつけられない。スルーしてしまう。
思わずタイトルをクリックしたくなる現象は、おそらくのこの2つの間で起こっているのではないかと思います。
今回は記事タイトルだけに注目しましたが、認知的不協和の解消を目指して、記事本文を読み出したのに、タイトルで感じた不協和が解消されなければ、読者のストレスは膨らみます。
そのことは十分に留意しておく必要があるでしょう。
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