すげかえられた首

トーマス・マン作 岸美光訳 光文社

  精神的な美と、感覚にうったえる美とがある。ある人たちは、美を全面的に感覚の世界に属するものとして、精神的な要素を根本的に美から切り離し、世界は精神と美に対立的に引き裂かれているのだと主張する。ヴェーダ の 父祖の教えもやはりその考えに基づいている。「世界で経験される至福 はただ二つ。 この肉体の喜びによるか、精神の救いの静けさの内にか」。 この至の教えにも 表れていることだが、精神と美は、醜が美と対立する ような対立関係にあるのではない。 条件付ではあるが精神は美と同一のものである。精神は醜と同じ意味ではないし、そうである必然性はない。なぜなら精神は、美の認識と美への愛によって、美を受け入れる。 美への愛は、精神の美として表れ、けっして根本から、まったく異質で希望のない愛では ない。 なぜなら、異なったものの持つ引力の法則によって、美もそれなりに精神を求め、精神を賛美し、精神の求愛を喜び迎えるからである。この世界は、精神が精神だけを愛し、美が美だけを愛するようにできてはいない。 二つの間の対立は、精神的でもあれば美しくもある明確さで、世界の目標は精神と美の統一、すなわち完全さともはや引き裂かれることのない至福にあるということを認識させてくれる。

マン. だまされた女/すげかえられた首 (光文社古典新訳文庫) (Kindle の位置No.3077-3087). 光文社. Kindle 版.

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