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休職日記 #12 遠くへ行きたくて

旅行が好きだ。私にとって、社会人になって良かったことは、お金ができたことで、悪かったことは時間がなくなったことである。もちろん、土日や大型連休はあるが、学生時代のように平日にふらっと出かけるといったやり方はできない。しかも、休日は仕事で摩耗してしまい、好きだったはずの旅行に行くエネルギーまで奪われる始末だった。

時間があると、どこかへ行きたくなってしまう質なので、休職で時間はある今の状況は、普段行くことが難しい遠くへ何連泊かの旅行をしたいと思ってしまう。一方で、心身ともにあらゆるエネルギーが失われた結果としての休職なので、そんな遠出をするようなエネルギーがそもそもあるわけがない。

先日、比較的体調が良かった日に「神仏にすがろう」という名目で、調子に乗って東京近郊の神社に参拝しようと思い立った。電車で2時間強くらいで、もちろん日帰りだ。
少し大きめの駅まで向かい、快速列車に乗り込む。列車の窓側のクロスシートは、私がこの世で最も好きな場所の一つである。ウォークマンで音楽を聴きながら、車窓を眺め、缶コーヒーを飲む。最高だ。

旅行が好きな理由は、こういうふうに列車に揺られたり、きれいな景色を見られたりするからではあるのだが、何よりも日常を逃れられ、非日常を味わえるからだ。
最近、JRがワーケーションを熱心にプロモーションしており、温泉旅館に来ている家族のうちお母さんがPCで仕事をしているというデジタルサイネージの広告をよく見る。あれを見るたびに、「お母さんもゆっくりさせてやれよ」と思う。そもそも、旅先へは非日常を味わいたいから行くのであって、そこにわざわざ仕事という日常を持ち込むなんて絶対嫌だ。

話がそれた。そういう感じで行きは、気分良く車窓を眺めていたのだが、目的地に着いてから少しずつ、きな臭くなってきた。駅から神社まで行くのに使おうと思っていた周遊バスがまん延防止等重点措置のため運休していたのだ。また、気を取り直そうと思って入った飲食店ではオペレーションの悪さについイライラしてしまい(もちろん、お店の人には当たっていない)と踏んだり蹴ったり。
やっとこさ着いてみて、心清らかにお詣りし、おみくじを引いてみる。運勢自体はまずまずなのだが「夕立の 雨やまなくに 日はくれて 行きなやみたる 山の坂道」と書かれている。

実際、体調の雲行きが怪しくなってきていた。駅まで戻る頃には、ひどい疲労感に襲われているのに気がついた。本来の予定では、ここからもう少し足を伸ばそうかと思っていたのだが「これはまずい」と判断し、予定を切り上げ、早々に家路につく。帰りの車内は結構、しんどくて「早く着け」と繰り返し念じる始末であった。無事に帰宅はできたものの、翌日・翌々日はベッドに横たわることしかできなかった。完全に時期尚早だった。

布団の中で、好きなことすら満足にできなくなっている状況を嘆くとともに、ここまで強く旅行、つまり非日常に行きたがっている自分の状況を考えていた。

何もかもが楽しくて充実している日常なんてものは空想でしかなく、この世には存在しない(と思っている)。もし、そう感じている人がいるとすれば何かが見えていないだけか、周囲が代わりに苦しんでいるだけだと思う。
大なり小なり、嫌なこと、面倒くさいこと、厄介なことがついて回るのが日常だ。もちろん、できるだけ楽しく充実した日常というのは実現できると思う。あくまで日常のネガティブな要素をゼロにすることは非現実的だという考えに過ぎない。
だからネガティブなものを含む日常から非日常へ逃避行すること自体は悪いことだとは思わない。ただ、やはり何事も限度があるはずで四六時中、非日常への逃避行を望む日常というのは不健全だし、逃避行すらできなくする日常は度を超えている。

非日常へ逃げるのではなく、日常を変える努力をしなければならない時なんだろう。

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