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休職日記 #20 “ゆとり”と生産性

昔の本を読んでいると、昔の「ゆとり」に驚くことがある。
内田百閒などは、自由気ままに列車旅行をし1週間ほど東京を不在にすることも度々である。これは別に百閒先生のような大御所だから出来るのかといえば、そうでもなさそうだ。まだ、特に有名な著作を出せていなかった頃の志賀直哉なんかも3週間、城崎で湯治ができるというのも、よくそんな時間が作れるなあと思ってしまう。志賀直哉も、わりとぼんぼんだったらしいので、これも特殊事例なのかと思ったが、昔のサラリーマンの映像を見ると、こちらも昼休みに屋上でバレーボールに興じている。休みの時間がしっかり取れるのもすごいし、昼休みにそんなことをできる気力があることがさらに驚く。

産業や職種、企業や時期によって、もちろん異なるのだろうが、全般的に、昔と比べると今はやはり、ゆとりがないのだろうなと思う。

ゆとりがある状態、ゆとりがない状態とは、つまり何なんだろうか。
例えば、宿題を全く手を付けぬまま迎えた8月31日は間違いなくゆとりがない状態だ。逆に半分くらい宿題を終わらせた8月1日は、すごくゆとりのある状態だと思う。やらなければいけないこと(A)と与えられた時間(B)との関係で、ゆとりの有無は決まるのかなと思う。
言い方を変えると、単位時間あたりのやらなければならないこと(A/B)が一定以上になれば、ゆとりがない状態だと定義できそうだ。
こうやって考えると、A/Bは生産性の概念に近いような気がする。だが、A/Bをゆとりの指標と捉えると、A/Bは低ければ低い方が良いが、A/Bを生産性の指標と捉えると逆に高い方が良いはずだ。

今のご時世、生産性は高ければ高いほうが良いもののように思える。実際、超少子高齢化とそれに伴う労働力人口減少に直面する中で、この社会の経済力を保っていくには、生産性を高めていくという方向性は確かに正しいはずだ。でも、その結果、ゆとりがなくなっていくということになってしまうのではないか。

もう少し丁寧に話をしてみよう。ここまで、A/BのAを「やらなければいけないこと」などと曖昧にしてきたが、例えば一人の労働者の目線で言えば、Aはあくまでもタスク・業務ということになる。しかし、生産性の場合、Aは一般的に付加価値のことを指す。
一人の労働者にとって、タスクはoutputであるが、企業の生産活動としてとらえればタスクはあくまでinputに過ぎない。付加価値は、このinputの結果出てくるoutput、あるいはoutcome、impactのことを指すだろう。
つまり、ここで定義したゆとりといわゆる生産性の分子であるAは、それぞれ全く異なるものということになる。だが、このような混同は現実社会では、しばしば起こっているはずだ。

一人の労働者の生産性を高めるには、分子である付加価値を大きくするか、分母である労働時間を短くするか、あるいはその両方をすることである。また、企業や社会の生産性ならば、分母は労働投入量、すなわち労働時間×労働力なので、生産性を高めるには労働力(雇う人の数)を減らすことなども、取りうる方策だろう。

そのため、企業などでは生産性を高めようと、一つの部署の人数を減らしたり、労働時間に上限を付けたりする。これで、付加価値が変わらなければ、確かに生産性は向上するだろう。
だが、一人の労働者にとっては、これまで5人で回していたタスクを3人で回さなければならなくなったり、残業を含めて処理していた仕事で残業ができなくなったりする。これでは、タスクの増加や時間の減少が発生するので、ゆとりはなくなる。

この場合、生産性とゆとりのトレード・オフが生じてしまう。だが、本来求められている生産性の向上とは、このようなことではないはずだ。
理想的な生産性の向上とは、従来どおり、またはそれ以上の付加価値を実現するために必要なタスク量を減らすことだろう。(それが、例えば機械化とか、ITソリューションの導入だったり、あるいは業務フローの見直しだったりするのだろう)
タスク量を減らした結果として、人員や労働時間を減らすのは良いが、タスク量を減らさずに人員や労働時間を減らすのは、生産性の向上ではなく、ゆとりをなくすこと、もっと厳しい言い方をすれば、労働者に無理をさせて、持続可能性を損なうことに過ぎない。

先ほど丁寧に議論しようとは言ったが、ここで議論してきた「タスク」概念は、それでもやはり曖昧としたものだ。一つ一つのタスクは容易に観察可能だが、総体として見るには共通の単位を見つけ出すことは容易ではない。便宜的には、そのタスク処理にかかる労働時間を足し合わせることになるのだろうが本来、タスク概念と労働時間は別概念だ。これが話をややこしくさせる原因だろう。

ゆとりを確保しつつ、生産性を上げていく―言うは易く行うは難しではある。だが、ゆとりの概念、つまり単位時間あたりのタスクの概念を持っておくだけでも、生産性向上という名のゆとり削減は減るのではないか。

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