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AI絵に関する考えまとめ、絵の創作性ってなんだ

以前の考えを改めてまとめた記事

*トップ画は昔描いたこんにゃくの日

①作品価値はAI作かどうかに関係なく評価される

AI作の絵は自作の絵より低くみられるべきか?別にそうでもないと思う
絵はそれ自体が素晴らしければ、その絵の価値は生まれるだろう

この考え方は絵描きかAI使用者かに関係なく、絵が好きな人の気持ちのためでもあると思った
そうでないと作品を見たときにこれはAIが描いたのか?と気にしてしまったり、AIで描かれたものと知ったときに作品に否定的になってしまったりするかもしれない
または自分が良いと思ったものが、AI作だからと否定されるのを目の当たりにしてしまうこともあるかもしれない

受け手が良いと思ったならそれで良しとすべきだろう
AIが発達を続ければ、AIか自作かの見極めはどんどん難しくなっていく
「AI作の絵」だからで全てを否定するのは息苦しくなると思った

②AI作かどうかはできれば区別されるべき

それはそれとして、AIで作られたか人によって描かれたものかは区別されるべきだと思った
前の自分の記事よりダイレクトに気持ちが伝わる記事があったので紹介

私が否定したいのは、「AIを使ったことを隠して自分の手柄にする」ことです。
AIイラストである、と明言している人に対しては何も思いませんし、むしろ好感を持ちます。
なぜか?
AIイラストであると分かった時点で、その絵の価値は手書きの絵とは別次元のものになるからです。
さきほどの競争の話でいえば、AIだと分かれば競争にそもそも関わっていないものになります。「バイクでフルマラソンのコース走ってみました」と言われたところで、私たちはそれをズルだと感じるでしょうか?「あぁ、そうなんだ」ぐらいにしか思わないでしょう。

AIイラストに対して思うこと Junagnaさんより

この人もマラソンとバイクの例えをしていて面白かった(自分もやった)
AI作の絵を自分が描きました、と言うのはやはり問題になりやすい
AI作が同じ土俵で評価されるのがいやな人もいるし、見る側としてもAI作を弾きたい場合はある
pixivなどのサービスでもAI生成作品をすみわける動きが出てきている

pixivではこの先、創作過程におけるAI技術の利用がより普及していくと捉えており、AIが関与した成果物の完全な排斥は考えておりません。

AI技術は、これまで開発されてきた画材や素材、画像制作ソフトやデバイス、3Dなどの技術と同様に、クリエイターを大いに助ける技術となり得ると考えております。
最終的には創作コミュニティーと技術が、うまく共存できる道を模索してまいります。

AI生成作品の取り扱いに関するサービスの方針について

排斥するのではなく、このように共存できる道を模索する方針としている

③描き手の創造力と受け手の想像力

「AIの絵は人の心や魂がない」と誰かが言い
それに対して「手作りの暖かみとか感情論を言い出したら終わり」のような反論が巻き起こる昨今
でも個人的にはこれは共存する話じゃないかと思った

後者は「手作りかどうか、心が込められているかは作品には関係ない」といった①の考え方で読み解くなら、個人的には理解できる主張だ
ただAI絵は"絵を描く過程"において「人の心や魂が込められていない」のも事実だと思っている
プロンプトを考えたり、取捨選択する過程に趣向は込められるだろうが
制作過程で実際に描いているかというと、描いてないのだからそれはそうだ
そして心や魂が込められているか、は作者の創意工夫が込められているかと言いかえることもでき、この有無はそう軽んじられるものでもないと思う

この両者の言い分は具体的に掘り下げれば、どちらも両立しているし意味があるものだと思った
・絵描きの絵は、描く時点で作者の創造力が込められているもの(+受け手の想像力)
・AI絵の絵それ自体は、AIが無作為的ランダムに作り出したものに受け手の想像力で意味づけしていくもの(その度合いが大きい)
という面はそれなりにあるのかなと思う

心や魂、特に深い意味が込められていなくても素晴らしいAI絵が出れば
見る側あるいは生成者自身も受け手的な感性でそこに意味を見出すのか
描き手としての創造力がなくても、受け手の想像力だけでも表現が成り立つ
それが巡って創造的な活動に繋がっていくのかもしれない時代

これからの絵は上手いだけでは意味がない、どう使うか、どんなコンセプトを与えるかの意味が強くなってくるだろうっていうような話を見かける、AI絵の分野では特にそうなるんだろうなと思う

ただそれは絵描きの絵がそのまま一緒くたにされるものでもないように思う
絵描きの絵はただ1枚の、ただ上手いだけの絵だとしてもそれに創造性は込められているものだと思う
見る側にとってその評価は難しくなる時代にはなるかもしれないが……
AI絵をベースに同じ評価軸で比べられる必要性はないと思う、すみわけはできるはず
こういった点で「②AI作かどうかは区別されるべき」の話にも繋がっている

④AI絵の魔女裁判

お前はAIで絵を作っているのではないか?と疑惑を持ちかける
「魔女狩り」のようなものも一部では起きてしまっているらしい

①的な考え方で、そもそも受け手はAIかどうか気にせず見るが吉……なのだが
②的な考え方で、AI作かハッキリ区別するべきだの延長線にありうる発想かもしれない
とはいえ魔女裁判を仕掛けるのは非常に危険なこと
AIを使っていたとしてもそんなに悪気なかったのに話がこじれるパターンもありうるし
最悪、疑いをかけた相手がふつうの絵描きだったとなれば目も当てられない

つまり②の「AI作かどうかは区別されるべき」は制作側がそう考えるかどうか?の話で、他人に振りかざす論にしてしまうのは危ないと感じる
そして制作者のモラルといっても主観的なもので、まだまだ何が正しいのか曖昧、AI作か明言しないのもそういう主義とでも言われたらそれも一定の自由なのかもしれない
本人に公言するつもりがなければ証明は困難だし、疑うこと自体がトラブルの種になりがちだ

ただ今のAI絵に見慣れてる人だとこれめちゃめちゃAI絵だな……と思われる絵はあり、それを販売してたらちょっと詐欺っぽくないか?と訝しく思う
指摘されなければその人はずっと続けているんだろうか……と考えると複雑な気持ちになりそう
まあそれでも無関係なところから突っ込んでいったり野次馬行為はしない方が良いだろうが、身近で起きたらモヤモヤしそうだなという感情も分からんでもない
そういったときは疑いをかける前に、まず誰かに気持ちを吐き出して相談してみるとかがいいのかも

⑤AI絵を人が修正、レタッチしたらどうなのか

より複雑な話がAIが描いた絵を人が修正した絵はどうなるのか?という疑問

先日Human or AIというテストが話題になっていた
(これ自体、許可取らずに掲載された作者に失礼ではという意見もあったりするのだが)
自分は好奇心ゆえやってしまったけどスコアは41/45
明らかに変なのはAI作と判断できるものもあったけれど、間違えた4作は人間作だった……すまねぇ
疑ってかかると人間作のものがAI作なのではないかと思えてくるのがこわいなと思った

このテストをやってたら、今までパッと見良さみに溢れてたAI絵だけど
いびつなところを見つけたときに、急激にこれはよくできた模造品でそこに魂はないんだ……と気づいてヒェッとなるのを味わった
これは後々AI絵のクオリティが上がれば解消されていくのかもしれないけど
現状は実はまだそこまで完璧ではないんだなということも感じた

逆に言えばそのいびつな箇所さえ加筆修正してしまえばAIかどうかは見極めはほぼ困難になる
それは一度、人の目によって違和感を探され修正されたものになるため
「AIが絵を出力し、人が違和感を修正する」
これが効率的で高品質な絵の生成方法になるであろう、ということはまあ良く言われていることか

⑥コスパの良い絵

AI生成が90%くらいのAI依存度の高い絵だと、制作者の創作性は極度に薄いけどクオリティが高い絵というのもどんどん出てきそう
手間や労力に対してウケがいい、というラインが見つかってくるかもしれないし、コストに対してパフォーマンスが高い……いわゆるコスパが良い絵で盛り上がるかも

ただ絵作りのほとんどをAIに依存する場合
AI依存度が高いほどその絵の素晴らしさって、学習元絵の良さとAI技術にすごさじゃないかとやっぱり思ってしまう部分もある
制作者が習得するのはプロンプトを練って良い組み合わせを抽出する術になっていくんだろうか

それも何か体系的な研究が進めば一種の学問になったり、創作性が認められるようになるのかもしれない……?
あるいはVR技術とimg2imgを組み合わせるとかで二次元写真みたいな技術が発展するのだろうか
絵描きの創作性とどういう性質の違いが生まれてくるのかは気になるところ

⑦その絵、だれの絵?

⑤の「AIが絵を出力し、人が違和感を修正する」
クオリティの高い絵を量産する効率化面でもこれはいいやり方のように自分も思う
でもそれって誰の絵なんだ?と思わなくもない
描く経緯を飛ばしている分だけ、その造形などにオリジナリティは失われているようにも感じてしまう
出力した絵をそのままでなければAIだけの絵とは言えないし、自分の絵と言えるのだろうか?

AIを利用した絵作りの方法も細かく分けて行けばいろいろあるだろう
・AIが出力した絵のいびつな部分を塗りつぶし、再度AIに描かせる
・AIが出力した絵のいびつな部分を自分で上から描きなおす
・AIが出力した絵の一部を切り取ったりして組み合わせる……etc

絵描きでも3D人形を元に作画するとかやってる人もいるだろうし
AI絵を下絵にしてそれをなぞって描くとかもあるかもしれない
AIが出力した絵を参考に、塗り方を模写するとかもある
ここまでくると絵描きとやってることはそんなに変わらないレベルかもしれない、効率化とも離れてくる気もする

つまり一概には言えないのだけれど、どのあたりから自分の絵と言えてAI作品というのかAI作成と人の手がちょうど50%ずつくらいだと、それはAI生成作品というべきなのかどっちなのか区別が難しくなってくる
ある意味そのあたりが本当の、新しいAIアートの世界になるのかもしれないだろうか

⑧絵描きの創作性ボーダーライン

絵を描いているときも色んな方法もある中で、どこまでが自身の創作的かと自分が思うラインがある

例えばこんな方法があるとする
1.絵をトレース(透かして上からなぞって線を描く)する
2.絵をそのまま模写(横に並べて同じものを目指して描く)する
3.絵を部分的に模写する
4.絵を部分的に忠実な模写といかないまでも模倣する
5.写真を部分的に模写、模倣する
6.3Dモデル人形をキャプチャして部分的にトレース、なぞり描きする
7.3Dモデル人形をキャプチャして部分的に模写、模倣する

1~2は作品作りという面だと感覚的にはあまり創作的ではないと感じる
絵を描く学びとしては有意だし、忠実な再現は創作の始まりではある
描くことの楽しさを知るきっかけかもしれないし描くこと自体が創造的だ
だが何かのコピーであることが明らかなら独創性には欠けるところ

4~5あたりは多くの人が作品に取り入れている行為だと思う
さいとうなおき先生もプロで資料を見ない人はいない、と言うくらい
自分の知らないものを描くときは資料を用意して手やポーズなどは写真を撮って、見て描こうということを口を酸っぱくしておっしゃっている
既存の画や映像を自分の絵に落とし込む行為は広く認められているようだ

6はどうだろう、自分としてはちょっとずるいというか
3Dモデルに引っ張られすぎてしまいそうだなと思うところがある
その線は3Dモデルが作り出した線であって自分の線ではないのではないかというような葛藤だ
一方で7は4,5と同じように自分でもやったことがある
何かを見る参考はどれだけしてもいいけど完全な模写はダメ、線や色は自分で生み出したいというのが今の自分の創作的ラインなのかもしれない

「AIは模倣というが、人がやっているのも模倣だ」という論がある
実際こう考えてみると絵描きがやっているのも多くの模倣とツギハギにすぎないのかもしれない
ただこれをAI絵と同列に扱われるのはなんだか釈然としない部分がある
模倣の中でも幾多の創意工夫を重ねているからという思いがあるからかもしれない
AIにはその主体がないのだから、AIが画像生成する過程に創意はない……
ではやはり創意こそが、絵描きの絵に込められた創作性なのか、創作性ってなんだ?
1や2は創作性薄いのか?そうでもないのか?4~5あたりもどうなのか?

トレースしまくってもそれを創作的にできる、本人がそう実感できることもあるだろうし、デジタルで手振れ補正とか使ってる時点で創作ではないと感じる人もいるかもしれないし
結局その人の価値基準にもよるのかもしれない
どのラインが創作的許容範囲なのか絵描きによっても違うのかもしれないし
そのこだわりが作風として捉えられるだけなのだろうか

⑨稚拙な独創と上質な模倣

前項でいう4~5あたりの話を掘り下げ
部分的なパーツを模写しているとき、これは果たして創作的だろうかと思うこともある
描きたい絵を描いているというより真似している時間でもあるのだ
その模写しないことには描けるようにもならないので勉強のためでもあったりする、そうして出来上がった作品は習作の数々でもあり成長を求めると習作を作り続けることにもなるだろう
そして模倣した品質は何も描かずに描いたものよりも確実に上がるのだ

絵を描いたことがなくても、時間をかけて忠実な再現・模写をしたらけっこうすごい絵は描ける
でも元絵を再現すればするほど、そこに独創性は失われていく
自分の中にあるイメージを表現するという点では、子供の落書きのようなものの方が本質的には創作と言えるんだろうか?
子供の絵も見たものを絵にしようとして、それが稚拙なだけとも言えるけど
なにかに依存しない線を自らの意思で作り出しているという意味では自由すぎる創造だ

絵を描くという行為は、創作的なはずだけれど
高い品質、見栄えがするものを描こうとすると写真模写や流行画風の模倣、3Dツールの活用
独創的じゃないんじゃないかという行為に傾倒していくような……矛盾を抱えているようにも思う
自分はどちらかといえば流行の画風を再現できたら楽しそうだし、そこを苦に思うわけではないけれど
AI絵の創作性を考えるにあたって、そもそもの絵描きの創作性って何か?と振り返ざるを得ない

今後はさらにAIを利用した参考資料、模写、あるいはAIの修正アシストみたいなのも許容されていくんだろうか
その極地がAIが作り出した絵の修正屋としてAIが主体で人間がアシスタントのような状態になるのか
どこまでを認められるか許容できるか、創作的といえるか品質主義になるか……わからぬな!

⑩ラーメンAI絵

最近はケーキ化とかラーメンのAI絵が流行ってて
ちょっと前の論争ばかり目立ってた頃より平和だなと思った、笑いは強い

だいたいの人間は心血注いだ絵でそんな崩壊絵を描こうとは思わないだろうから、AIならではの画力と狂気だなという感じである……
ある意味でこれはAIの独創性と言えなくもないんだろうか
現在はその発想に人間側が乗っかって崩壊絵を描く逆転現象も起きているようだ

【閲覧注意】イラスト生成AIが新たな特殊性癖を開拓してしまう【女の子、ケーキ、泣いてる】

AIの反逆によって異常ラーメン食べ女・AI樋口円香が生まれ、人間がそのファンアートを描くというカオスな流れが誕生しつつある

AI絵によって今までになかった映像、発想が生み出され
それが1枚の絵として評価され……、ちゃんとAI絵として区別され
人を笑わせ、感心させ、新たなインスピレーションをも与えて一大ムーブメントを巻き起こす
これが理想のAI絵との共存なのかもしれない
これが……ほんまか?

まとめ

「とても便利なものができた、しかし多くの人の心が曇った」ではいい技術と思えないというのを以前の記事にも書いた
でも誰も傷つかぬ技術発展というのもないのだろう、そういう時期にある
傷ついてる者を追い詰めるような言葉、誰かを傷つけるような行動にこそ慎重になるべきだろうなと思う
なので色んな立場で納得できる感じを目指した
そうして考えるうちに絵の創作性ってなんだろうという疑問に謎は深まるばかりだった

①と②で一見相反するような意見だけどどちらも分かるな~みたいなことを③含めて書いた
④は注意すべき事例として
⑤~⑦でAI絵+人の手だとどうなんだろうみたいなことを考えてた
 AI+人修正が強いと思う一方で、創作的なのか?の疑問
⑧は絵を描く中だけでも色んなラインありそうだよな~という話
⑨は品質を目指してると創作的な絵を描くことから遠ざかってるときがあるような気がした話
⑩はラーメンAI

良かった記事の紹介

なので、僕らが現実的に行うべきは、みんなの倫理と創作観を公開し、すり合わせることで、統一的なルールとモラルを導き出すことなのだろうな、と考える。それを100%実現するのは非常に容易ではないだろう。なのできっと、誰かが割を食う結果になってしまうのだろう、という予感もある。

だからこそ、遠ざけるのではなく、近づけていくことが必要なんじゃないだろうか。ラッダイト運動は現に起きた。だけど産業革命も現に起きた。大きな流れをみんなが意識し、少しずつ歩み寄れたらいいな……という、希望的な観測を結びに書き残す。

画像生成AIの"目的地"を考える 浅田カズラさんより

これがいい言葉だなと思いました

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