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AIイラストに対して思うこと

はじめに

こんばんは。Junagnaといいます。
なんとなく文字を描きたい気分だったのでNoteを始めてみました。

ここ数日、NovelAIの登場によりAIイラストの技術は躍進を遂げ、絵描きたちの間では何度も論争が巻き起こっています。
つい昨日は有名Vtuberたちが一斉に「AIイラストにファンアートタグをつけないでほしい」と表明し話題になっていたばかりです。

私は「AIがどんなに発達しても、自分の絵を自分が描いたことに変わりはないのだから気にする必要はない」とNovelAIが出た当初は表明していました。
一方で、一見平気なふりをしながらAIに対して嫌悪感を抱いていたのは事実です(つまり強がっていたということですね)。
もやもやとした気持ちを抱えながら絵を描くのも健康的ではないので、ここでAIに対する自分の考えを改めて言語化してみよう、と思ったわけです。いわゆるお気持ち表明を、ほとんどの人が見ていない場所でやろうということです

私について

とりあえず、私が何者なのかをまず紹介させていただきます。何者っていうとなんだかかっこいいですね。そうでもないか。

私はいわゆるよくいるツイッター絵描きです。フォロワーはいまのところ2000~3000人ほどで、幸いなことにたくさんの方にイラストを見てもらえたりそうでもなかったりしています。年内3000フォロワーを目指してSkebのご依頼などもいただきつつ絵を描いています。

一方で、私は職業イラストレーターではありませんし、プロになるつもりもありません。あくまで趣味で描いています。
つまり、絵を描くのをやめても誰にも迷惑はかかりませんし、ゲームをやりまくってたっていい立場です(むしろ、本業がゲームプランナーなのでそっちのほうがいい)。

AIに関して私個人が大きく関係していることとして、NovelAIが学習もとにしているDanbooruに、私の絵が無断転載されているということがあります。
それでは本題に入っていきましょう。

AIの何に嫌悪感を感じるのか?

私は強がりをしたがる人間ですが、こういう場では腹を割って正直に語る方が結果的に良いと思っています。なので、極力正直に考えを伝えます。

まず最初に感じたこととして、やはり「努力なしでうまい絵が出力できるようになってしまったやるせなさ」があるでしょう。
私は今までそれなりに勉強して絵を描いてきたつもりです。小学生の時から漫画を描いたノートを何冊も積み上げてきて、自分より上手い人の絵を見て憧れ、描いてみて絶望して、何度も何度も描きなおして、そういった過程を踏んで今の絵があります。

それが、突然現れたAIによって誰もがそういった過程なしで、私より上手い絵を出力できるようになりました。
AI絵を肯定する人は「結局は頭の中にある絵をAIで出力しているだけ」「これだってプロンプトの文章を考えなければいけない」「修正しなければいけないのだから手書きと同じ」といいますが、私からすればふざけるな、という気持ちがどうしてもあります。それは私たちが長い時間かけてきた努力と釣り合うのかよ、と思ってしまいます。

現に、AIイラストで(あることを隠して)バズっている絵を見ると悔しさがあります。私が頑張っても到達できていないものを、自分で描いてもいないイラストで到達するのか…。

ずるいよ!!

私たちの考えは「苦しみの押し付け」か?

ここまで書いた内容を読んで、「自分が苦しんだのだから相手にも苦しんでもらわないと気が済まないんだろう?」と思われる方もいるでしょう。

いわゆる会社でよくあるアレでしょうか。デジタルで一瞬で済む仕事を上司がアナログな作業を強要してくるものに近いのではないかと。

しかし、これは会社としては損な行動ですし、明らかにただの腹いせに苦しみを押し付けているだけです。今回の件は話が違います。

今回起きたのはみんなで頑張って上手くなろうと同じ土俵で競い合っていたところに、突然チーターが現れたようなものです。

全員で長距離マラソンをしていたところに、突然バイクに乗った人が現れて「42.195km?完走なんて簡単だよ」とバイクでショートカットして、ゴール地点の数メートルだけ自分の足で走っている。

そもそも自分の力で走っていないのでは。なのに「バイクはただのツール!結果は一緒だし、苦しむ必要なんてないでしょう?」と言う。
それは何かが違うということはわかっていただけると思います。
私たちがやっていたのは、いわば競争だったのです。絵の上手さというのは相対的なものであって比べる他者がいて初めて「上手い」「下手」が生まれます。競争に勝つために上手くなりたい人は努力してきました。
その競争に、努力なしでほとんどの人より「上手い」存在が現れて、悪びれもせずに使っている。それに拒否感を覚えるのは仕方のないことでしょう。

イラスト業界にあった価値観

また、もともとイラスト業界にはある価値観がはるか昔からありました。
「トレスは悪」「パクりは悪」という概念です。
自分以外が描いたものを利用するのはダメだよ、と著作権法で決まっていますし、誰もがそれは認識しています(多分ね)。

一旦NovelAIが無断転載された画像を利用して作られているということはここでは置いておきます。いわば私も絵を勝手に食われた立場なわけですが、そこは散々言われているところですので。まあふざけんなボケとは思ってますが

AIの絵には著作権がありません。だから、AIの絵を利用して絵を描くことについては法的には何も問題がありません。
しかし、「トレス」「パクり」に対する忌避感が私たちには根付いています。
そのため、今までの経験から「AIの絵を自分の絵として発表する」ことに嫌悪感を感じるのではないでしょうか。後付けで「これはほかの人の絵を学習しているのだからトレスだ、違法だ!」とおっしゃる方もいますが、それはナンセンスです。私たちはNovelAIのプログラムを解析したわけではないのですし、本当にどこかにある絵の構図をそのままコピーしているかは分かりませんから。

実際、数か月前にmidjournyが彗星のごとく現れた際、かのAIを利用してテクスチャとして利用できるのでは?と思い試したことがあります。
しかし、テクスチャとして利用するだけにも関わらず妙な罪悪感を感じたことを覚えています。結局それ以降AIは使っていません。

んじゃAIイラストって駄目なのかよ!?

ここまで語ると私はAIイラスト完全否定派にも見えるでしょう。しかしそうではありません。
AIの発達は素晴らしいことです。人類の発展には欠かせないでしょう。AIの開発者たちはそれこそ甚大な努力をしてきたのでしょうし、彼らの作ったもの自体の否定はナンセンスです。(あぁ、もちろん無断転載の画像を使ったことは否定します)

私が否定したいのは、「AIを使ったことを隠して自分の手柄にする」ことです。
AIイラストである、と明言している人に対しては何も思いませんし、むしろ好感を持ちます。
なぜか?
AIイラストであると分かった時点で、その絵の価値は手書きの絵とは別次元のものになるからです。
さきほどの競争の話でいえば、AIだと分かれば競争にそもそも関わっていないものになります。「バイクでフルマラソンのコース走ってみました」と言われたところで、私たちはそれをズルだと感じるでしょうか?「あぁ、そうなんだ」ぐらいにしか思わないでしょう。

どうAIを利用していくのが正解なのか?

前提として、AIを使ったことを隠さないという条件があるものとします。

まず、頭の中にはなんらかの出力したいものがあった人たちが、自分の考えを絵にする手段として使うのはアリでしょう。

あとは、私の作業仲間に自分の絵を読み込ませて、AIで精度を上げたものを参考にして元の絵に加筆修正している人がいますが、これもありかなと思います。AIで出したもの自体は成果物には一切含まれていませんし、勉強の効率はかなり上がるはずです。

また、商業の世界においてはAIは大いに利用されるべきです。
私のいるゲーム業界はイラストを多用しますが、常に予算と納期に追われています。個性が必要ない場面において(アイテムとか背景とか)、AIはまさに福音となるでしょう(人件費かからないし圧倒的に短期間でできるし)。とりあえず今のところはまだ製品に利用するのは問題がありそうなので、法律の整備を待ちたいところですね。

AIイラスト飽和の時代でやるべきこと

とはいえ、全部が全部正しい使い方がされるわけではないでしょう。この世には善人ばかりではありませんし、倫理観が私と異なる人間も山ほど存在します。

そうなれば、AIで描かれた絵は溢れかえり、イラスト業界全体のレベルが一気に引きあがることが予想されます。

そうなれば、私程度のレベルの絵描きはその絵に太刀打ちできないでしょう。フォロワーを増やすのはどんどん難しくなっていくと思われます。

ではどうすればいいのか。

それは「個性」の獲得になっていくと思います。
かねて絵の世界では、初心者の時代において「個性」を意識する必要はさほどないといわれていました。上達の最短ルートは上手い人の模倣であり、流行の絵柄をチェックして取り入れていくことが最適解とされていました。

しかし、AIの出現により「流行の絵柄」はそのまま「AIの絵柄」になりました。
流行の絵柄を追うことは、AIの絵柄に近づくことになったのです。
AIと同じ絵柄でAIより上手くなることは困難です。
ならば、AIと違う絵柄、すなわち個性を獲得していった方が未来があります。まあ、1年後に無限の個性をAIが獲得している可能性も全然あるんですけどね・・・

そうなると、上手くなるためのAIの利用には疑問が生じます。
AIの生成物を絵の勉強に利用するということは、AIの絵に近づいていってしまうのでは…?

AIは特定の表現が上手いです。そういったところを部分的に模倣していくということについては否定しませんが、しかしやはり懸念は残ります。
AIの利用から距離をとったほうが個性の獲得には有益なのかもしれません。

特に、初心者がAIの絵を参考にしてしまった場合、ある程度上達してから絵柄を変えることは困難ですし、一度AIというあまりに楽な添削ツールを手に入れてしまうと、不便な状態に戻ることは難しいと思います。私たちがデジタル絵からアナログ絵に戻れないように。

そういった意味では、AIでの勉強はすでにある程度絵柄を持った上級者向けのツールなのかもしれませんね…。

AIを使わず、今まで通りに勉強していくことがこの時代を生き抜く方法になるのかもしれません。
幸いなことに、NovelAIには絵に癖があり、AIらしさにつながっています。
その絵柄を回避していけば自分だけの突出した個性にならずとも、AIとは違う方向性の絵が描けるでしょう。

これ、もともとAIっぽかった絵柄の人は今地獄だろうな…

終わりに

長々と書いてきましたが、とりあえず自分の考えをアウトプットして見つめなおすという点で目的は達しました。
なんだか書いているうちに段々冷静になっていっている様子がわかって面白いですね。
とりあえず、これまで通り私は頑張っていこうと思います。目指せ年内3000フォロワー。


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