がそ(2)
境界線を描き終え、指示された実体を摘出すれば任務完了。
すると解放された空間に青が顔を見せる
虚無と呼ぶべきか
否、この空間に潜むは またもや原子/色である
ほぼ均一であるこの”がそ”たちは
本来であれば表情を見せないはずだが
(また表情を見せないためにやる作業なのだが)描いた境界線に沿って実体が摘出される前
かつてそこに、しかし確実にあった“なにか”。
その露わなシェイプにより
この青は”なにか”の一部と成る
限りなく表情を持たない作為的なこの青は、
ぴったり同じ位置にあった”なにか”の形をし、
”なにか”の存在を証明している
私は境界線引師として、かつてそこにあった”なにか”の実体を皆様にご覧頂く事はタブーとしているが、
私たちはその”なにか”を、もう見られないの?と嘆いたり、悲しんだりする必要があるだろうか
青は”なにか”の一部となり
毎度のウッカリミスによって、バラもまた”なにか”の一部を持ち、バラ自身も”なにか”の一部となっている
私たちはかつてそこにあった”なにか”を追い求め、原子(意味)や色の似てる別モノで埋めようとし過ぎている
境界線引師の最後の作業により解放されたその空間を
虚無であるように感じるけれど
そこにあった”なにか”の存在を証明するのは、そこに在る実体と、その虚無のような空間、そして現行の実体である私たち自身である
すなわち、目の前にある実体、
解放された空間、
私たち自身でさえも”なにか”の一部であり、
”なにか”である、ということである
つまり私たちは何も失わないのだ
何をも失えないのだ
記事をお読みいただき、ありがとうございます。うれしいです。