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がそ

がそ
と書くと、なんだか悪役(頭も悪い)のような感じがするけど
最近私はこいつと幾分か仲良くなった

毎日”がそ”をみつめていると
全ては原子であること、
そして色の集まりであることを実感する
ちいさな ちいさな色が
ぴったりと集まって
私になったり バナナになったりする

私の仕事は言わば
何かと何かの境界線を描く、境界線引師

だけど、私とバナナはある部分では同じであると言え
同じものを持っているし 同じ色をも持つ
そこで私は共有する物質、色を理解し、感謝なんかしながら
“私である”部分と”バナナである”部分の境を描く

そのとき
人間である私が知覚することの出来ないミクロの世界では
境界線引師の私によるウッカリミスにより
“私である”部分がバナナとなり
“バナナである”部分が私になったりすることもあるだろう

それは、境界線引師としての仕事としては成功の範囲内だとしても、原子、色の世界においては大変な事件が起こっているのである

“私”である一部が”バナナ”の一部になってしまったのだから

しかし、私とバナナは「ある部分では同じであると言える」と前述したように
私とバナナは互換性がある、と言っても過言ではないのではないか

私はバナナとして成る部分を持つし
バナナは私として成る部分をもつ

だから、私はバナナだし、
私は君であって
寂しくはないと思ったり
寂しくはないと思い込むことも可能なのである

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記事をお読みいただき、ありがとうございます。うれしいです。