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誰かと話すということ〜自分と他の誰かのあたりまえってちがうんだなと感じた話

ついさっきの話。

私の当たり前で
もう話さないと決めた。

よく分からんから
電話で聴きたい。

最後のつもりで
伝えてないこと話してみた。

この人の当たり前…
めっちゃ心を刺さるんやけど。

私の当たり前を否定するでもなく
聴きたいことは
伝わる言葉に変えて
しっかり伝えてくれる。

聴けずにいたことも
こういうことでこういう行動を
取っていたんだと
おだやかに伝えてくれる。

なんだ?この人?

やっぱり今まで会ったことない
めっちゃ器の大きなあたりまえ。

なんかわからんけど
上手く言葉にできんけど
心が動いたんは
この器の大きさのせい?

その理由は
この人のこういうとこなんだと
ストンと腑に落ちた瞬間やった。

自分と他の誰かのあたりまえは
まるで違うと知ってるのに。

毎日の仕事の中で
相談者さんの
たくさんの当たり前を
目にしているのにね。

わかったつもりだけど
自分のことだとうっかりしてる。

目の前に突きつけられた気分。

神様からのサプライズ。

山あり谷あり
いろんなことを歩いてきた
私のあたりまえが
丸ごと引っ繰り返るような人と
50歳にして
まさか出会ってしまうとはね。

誰とも新しく出会わないのも
ひとつの選択。

今までと変わらない
穏やかな日々もまたいいもの。

何かを変えたいと思うなら
見知らぬだれかと話すのも
またひとつの方法。

トリニータと出会ってからの5年半。
見知らぬ誰かとの
たくさんの出会いから
ねえさんの人生は大きく変わった。

自分と誰かのあたりまえの違い
あなたも感じてみませんか?

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