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パニック障害はわたしの相棒(1)


バターアイスは美味しい。体調はそこそこ良好。
そんなわたしは、パニック障害。


「ずっとこのままでは居られない」


そう思い、果てしなく長い遠泳をするかのように今年の5月から認知行動療法を始めた。不安がありつつも奮起したのだ。今までの生活に1日でも早く戻るために。


1.馴れ初め


思春期だった7年前の私。周りの友達が成長していく中で、同じ波に乗れず不登校になったり周りの目を気にしすぎるあまり、人見知りが加速していった。
中学、高校を卒業して進学した2019年5月。悩みがあれば抱え込み誰にも話せず疲れがドッと出た頃、パニック障害と出会った。


相談したことはある。相手の体調は良好かつ症状について理解が無いので、「少しずつ頑張れば大丈夫」との言葉だけが耳に残る。それ以降、他人に頼ることは無くなった。挙げ句の果て、その人の一言で症状が悪化し人生が変わってしまった。


「気の持ち用」と言われるのも今では分かる。自分から行動を起こさなければ何も進展しない。それが怖くても進まなければ。



好きなラジオを深夜に生で拝聴するために生活が不規則な生活になったり、コントロールができず時間に余裕を持てなかったり。
自分の身体の変化に気づく事はできなかった。度々、急行電車内で動悸があったのも知っている。徐々に蝕んでいったのだろう。自分に甘く、他人に厳しくしていた昔の自分を叱りたい。

ラジオは生が良い。楽しそうに話すパーソナリティ。それを遠く離れた家で聴く私がいる。同じ時間を共有できて、かつ繋がっているような安心感。心地良い。


当たり前のように無意識に呼吸をしていたのに、ある日を境に呼吸法が分からなくなってしまった。
「人間はこうも変わるのか」「誰かがゲームのように地球の上から操作しているのではないか」と言わんばかりの想像、妄想、空想。


初めは家族の理解もなく、クリニックでの先生との会話で日々の鬱憤を晴らすことで精神を保っていた。

「いっその事いなくなってしまえば」なんて考えることもあったが、私を一番世話してくれていた祖母の姉が数年前に亡くなったこともあり、懸命に生きることに決めた。私が不安なことを考えればまれに夢に出てくる。他の家族は夢でも会えないらしい。



2.不安な日々


周りの人々は楽しんでいるのに私は何もできない。楽しめない。憂鬱な毎日。でもうつ病ではないし絶対にならない。負けず嫌いな面もあり、怠ることはなく自分にできることを探した。


・ネットで資格を複数、取得
・料理や洗濯などの家事を習得
・家で楽しめることをひたすら探す


発症した年に愛猫を迎え入れた。初めての猫との生活。不安もありつつ、一人ではないと実感でき支えとなった。今ではやんちゃで誰かと似て人見知りかつツンデレなのだけど、それがまた可愛い。


話が少し逸れてしまった。noteを始めたのも、自分の気持ちを曝け出すことやストレス発散のため。
SNSで似た症状の方と繋がり励まし合うような日々も悪くないというアイデアもあった。私には合わないと思いその選択肢は切り捨てた。



3.殻に籠るまで


ある日、愛犬と散歩へとエレベーターで1階へ降りた時の話。突然、ものすごい不快感といつもとは異なる心臓の音の速さを感じ、呼吸が苦しくなり折り返した。
楽しみにしていたであろう散歩への高揚感を押し殺し、部屋へ戻った愛犬の顔は寂しそうに見えた。

電車に乗れなくなり、地元での散歩でさえ苦になり、引きこもりのような状態に。


もしこの症状にならずに普通に生活できていたら、また異なる世界が広がっていただろう。明るいのか、暗いのかは分からない。
この症状を患ったからこそ知ったことは多いので、この時間を与えてくれた神様には感謝したい。野蛮な道へ進まぬようレールをこちらに敷いてくれたのだと思う。


まだまだ1年目の話。次回は2年目のお話。
そんな私は10月から新しいことを始める。



※わたしが描いたイラストです

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