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おにぎりの四方山話

6月18日、今日はおにぎりの日である。杉谷チャノバタケ遺跡からおにぎりの化石が発掘されたことに由来するらしい。せっかくなので、今日は私のおにぎりにまつわる思い出話を2つしようと思う。

おにぎりご飯と過労の話

私は高校時代、ピアニストになることを夢見て芸術系の高校に通っていた。その時の学校生活について語らせてほしい。

私の通った学校は芸術系の特殊なカリキュラムに基づいて授業が組まれていた。
最も特徴的なのは、学校の授業の中にピアノや声楽の個人レッスンが組み込まれていたことだろう。週に1回、専門の先生が学校に来て実技の指導をしてくださる。その他、音楽理論やソルフェージュなど音楽に関する座学の授業も必修である。もちろん普通高校で学ぶことは一通り学ぶため、国語や数学、体育に家庭科と言った一般的な授業も普通にあった。

それに加えて、音楽系の高校生は一般的な高校生よりも授業外の活動が多くなりがちである。私が高校生だったころは、授業とは別で週に1回実技のレッスンを受け、コンクールやオーディション、公開レッスンなどに参加することもあった。

レッスンで与えられた課題は次のレッスンまでにこなさなくてはならないため、学校の休み時間や放課後、帰宅してからのピアノ練習は欠かせない。実技の試験やコンクールの間にやってくる一般教科のテストも、全く勉強せずに受けるわけにはいかず、そのスケジュールを練るのも大変であった。つまり、私の高校生活は、それはもうとてつもなく忙しかったのである。

さて、こんな高校生活を送っていた私にとって、ゆっくりご飯を食べる時間は贅沢極まりないものであった。朝はできるだけ早く学校へ行って朝練がしたかったため、朝ごはんは父が運転する学校へ向かう車の中で食べていた。昼も学校のピアノが借りれたため、昼ご飯よりも練習を優先していた。じゃあいつ昼ご飯を食べていたのかというと、授業と授業の合間のたった10分の休み時間で、お弁当を掻き込むように食べていた。

しかし、これではなかなかお昼ご飯が食べきれない。そこで、私は母に
「お弁当、おにぎりとかにしてもらうことってできるかなぁ」
とお願いするようになった。

次の日から母は、それまでお弁当箱に入れていた具材を白ごはんで包んでにぎった特大おにぎりを準備してくれるようになった。

白ごはんの中にハンバーグとブロッコリーと卵焼きが入ったおにぎりや、枝豆と鮭の混ぜご飯おにぎり、チキンライスに薄い卵焼きを海苔のように巻いたオムライスおにぎりなど、独創的なおにぎりを文句一つ言わずに握ってくれた母。

私はこれを、ある時は教室移動の廊下を歩きながら、またある時は授業前に教科書を読みながら食べた。残念なことに、時間に追われて食べたおにぎりの味はほとんど覚えていない。

今から思えば、食事の時間を犠牲にしてまで何をそんなに頑張っていたんだろうと思うし、そこまでする必要があったのかとも思う。実際、この生活を続けた結果病気になり、私はピアノでの大学進学を諦めているので、本当にバカなことをしたものだ。主治医の先生に「こんな生活してたから病気になったんだ」と言われるとちょっと傷ついていたのだが、そんな自分が面白く見えるくらいに、どう見ても過労である。

しかしまぁ、こんなことに気づいたのも体を壊したからなのだとしたらきっとこの経験も無駄ではなかったのであろう。そう信じたい。


卒業演奏会の差し入れおにぎり

高校3年生の時の私にとっての二大イベントは大学入試と卒業演奏会であった。卒業演奏会とは、高校3年生の1月に学外のホールで演奏会を行う、高校生活最後を締めくくる3年間の集大成とも言える学校行事である。

私たちの学年が高校3年生に上がる頃というのは、ちょうどコロナが世界を騒がせ始めた時期であったため、高校3年生の時は学校行事がほとんど中止になった。そのため「卒業演奏会だけは何としても」、という思いが生徒の側にも先生の側にもあったことをよく覚えている。

私個人の話をすると、高校2年生の夏に病気になって以降、私はほとんどの学校行事に参加することができなかった。そんな私にとっても3年間苦楽を共にした戦友たちと同じ舞台に立てるこのイベントは特別なものであった。高校生の間はピアノを専門にしてきたが、大学は座学で進学することを決めていたため、ピアノ専攻としての最後の舞台という思いもあって、絶対にいい演奏がしたいと意気込んでいたのだ。

さて、この時期の私の体調はすこぶる悪かったように記憶している。原因不明の頭痛や発熱、倦怠感、食欲不振といった症状が夏ごろからずっと続いていたのだ。そんな体調でも、受験と卒演は近づいてくる。受験は11月、卒業演奏会は1月。今振り返ってみても、体調が悪い私にとって受難の3ヶ月であった。

大学受験を乗り切り、卒業演奏会当日を迎えた。企画や運営、事前の準備は全てクラスメイトに任せ、自分は出演するだけというお客様待遇であったが、家から遠いホールに出向くだけでフラフラな私。この時期には食欲がほとんどなく、見かねた主治医の先生が胃カメラをしたところ、逆流性食道炎が発覚するほどまでになっていたのだ。

持てる力を振り絞って、自分の出番を終えた時のことである。ここ数ヶ月、全くと言っていいほど食欲がなかったのだが、自分の演奏が終わった瞬間、猛烈にお腹が空いてきたのである。

楽屋に帰って、デパートの地下に入っているおにぎり専門店の高級梅干しおにぎりを頬張った。カリカリの梅干しとおむすびの程よい塩気が絶妙にマッチしたほかほかのおにぎりは、私が今までの人生で食べてきたどの食べ物よりも美味しかった。

病は気からと言うように、ストレスや不安が体調不良を招くと言う話は至る所で耳にしていたものの、こと自分に関しては絶対に当てはまらないだろうと思っていたのに、完全に裏切られた気分である。

この一件以来、私は自分の体調が実は気のせいなんじゃないかと心のどこかで思うようになった。本当に、気のせいとかそんなもんじゃないくらいに全然食べられなかったのに、本番が終わった瞬間あっという間に治ってしまい、拍子抜けである。食べられなくて悩んだあの時間は一体何だったのだろうか。

今抱えている体の痛みも、病院で話を聞く限りきっとこの類いのものなのだろうと理解している。他人に「気のせいだ」と言われるととても傷つくが、実は自分でも自分の体調が信用できない部分はあるのだ。

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