シュタイナー園で聞くメルヒェン/第3回
(第1回、第2回)
しらゆきひめは人間の運命を語るメルヒェンです。
《 まま母の役割 》
王さまの後添いとしてやってきたまま母は、“新しく生まれた魂が(「王国」というイメージ像で語られる)「人間がもともと住んでいた精神界、天上界」から「物質の世界」へ入り込んでゆくことを促す役割”を演じます。
《 美しい 》
しらゆきひめというとだれでもが思い浮かべるこのおきさきのことばですが、これは何を意味しているのでしょう。
鏡とは世界をすべて映しだす目です。メルヒェンの中での鏡は、すべてを見て真実を語る目です。ドイツ語で「鏡を持って見せてやる」というと、だれかにむかってあやまりをずばりと言う、という意味になります。生まれる前と死んだのち、人間は精神界でこの鏡に向き合います。
このおきさきは利己心、嫉妬心を表現しています。人間が身体の中に入り込み、物質の世界の住人になったらだれでも利己心や嫉妬心に苛まれることになります。だれでも、自分という狭い入れ物の中に入るわけですから。
自分だけ、自分の仲間だけ、自分の国だけ。
そこでおきさきがお気に入りの鏡にたずねると鏡は
と返事をしました。
おきさきさまはここでねたましさできりきり舞いをする、とメルヒェンでは語ります。
子どもは天上界からやってきて物質の世界へ、地上の身体へ入り込んで行きます。これはかんたんなことではありません。
しらゆきめのメルヒェンの中では7回、美しさをたたえる言葉が出てきます。こびとの家のベッドで眠るしらゆきひめを見つけた7人のこびとたちが歓声をあげます。
7歳といえば、乳歯が永久歯に生え替わる年齢です。就学年齢となり、体を作っていた力が思考力へと変容し、計算をしたり、字を覚えたりすることに使われるようになります。
この生命力は無垢でただただ透明で清らかなものです。太陽を慕う植物の生命力と同じように無欲で純粋です。
世界でいちばん、美しいのはこの無垢の生命力なのです。
このまだ無垢の生命力が三度三つのプロセスを経て地上的になってゆく
ようすがこのメルヒェンの中で物語となって語られています。
7歳から14歳と成長してゆく子どもたちをみるならば、
感情は利己的に、自己中心的に、
思考は計算づくに、合理的に、
意志は物欲に忠実に
なってゆきます。太古の人間が無垢であったように、幼い人間たちは純粋にその生命力に忠実に成長していました。ところが、人類史が近代、現代に向かって利己的に、合理的に、物質への欲に忠実になってゆくのと同じに子どもたちも大きくなってゆきます。
しらゆきひめがこびとの家にいるときにおばあさんに姿を変えたおきさきから三つのものを買い、そして二回は死にかけて、三回めにはとうとう死んでしまいます。これは思考、感情、意志の領域で無垢だった生命力が地上の力となってゆくようすが語られているのです。
そのことを次に見てゆきます。
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