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ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。
辻村深月さん「ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。」を読了しました
家族というものは、関係性であり環境であり、自分を形成してくれる一部です
一部といわず、大半かもしれません
私はしっかり者ではありません
頼りない娘なのだと思います
自立のしていない存在
両親たちはきっとさらに親であろうとするのだろうなぁ
少し作中のチエミさんと自分は似ているなと思いました
家族間の距離が近いこと、私が親の庇護下にあること、そして疑問をもたなかったこと
世の中では自立をしない子ども
親離れしていない、子離れしていない状況というものは異常なのだと感じられるようです
家族間の距離も、仲の良い家族と思われる距離もあれば、仲が良さすぎる異常だ、気持ち悪いとも考えられるようです
境界線というものは難しいですね
家族というものの集合をまだひとつしか知りません
結婚したりすると相手方の家族というものの集合、そして自分たちが運営する家族という集合の3つくらいを知ることができるのでしょうかね
家族を転々とすることは稀な気もします
だから、私は家の当たり前しかしりません
生まれてからいまも一緒に過ごしている人達との形しかしりません
おかしいところが余程でないとわからないのです異常な環境が当たり前なのです
大袈裟だけれども星の数ほど家族があります
自身の当たり前が普通なのだとしたら、きっと他の家族たちは惑星違いで異文化で異常地帯なのでしょうね
異文化で過ごした人達と学校で一緒になり
友人という関係になっていきます
私はどんな友人だったのだろう
私は、どんなエイリアンだったのだろう
異常の中で愛されている
そう思います
作中のチエミも異常の中でこれまでもこれからも愛される人物なのだと思います
一部として馴染んでいる異常な愛たちと皆様が穏やかに添いとげれますように
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