実家より、愛を込めて。
ネットに投稿されているコミックエッセイの中で、子育て中の夫婦が言い争うシーンがあった。
主人公たちが、それぞれの理想の暮らしを言葉にすると、夫も妻も、まったく同じことを相手に望んでいることがわかる。
①仕事から疲れて帰ってきたら、お風呂が沸いていて、ご飯の用意ができている。
②お風呂にゆっくり入っている間に、子どもたちの食事と寝かしつけが終わっている。
③食後にのんびりスマホを見ている間に、部屋もキッチンもすべて片付けが済んでいる。
それはつまり「何もかも親がしてくれる実家にいるかのような暮らし」を、お互いに期待していたのだ!
⋯⋯というオチだった。
私には今ひとつ、このオチがピンとこない。
実家で、のんびりと寛いだ経験がないからだ。
早くに両親が亡くなったので、帰省してゆっくりのんびり過ごす、といったことが私には、とうとう叶わなかった。
そもそも実家で、どうやって寛いだらいいのか、その空気感がわからない。
両親の存命中も私は、他人行儀に気をつかって、忙しなく立ち働いていた。
そんな私が、子どもたちが家を出ると同時に今度は、彼らにとっての実家の役目を担うことになった。
「何もかも親がしてくれる実家にいるかのような暮らし」を夢見ていた、コミックエッセイの主人公たち。
私はもう一度、はじめから読み直す。
コタツとテレビ。つけっぱなしの野球か大相撲中継。
湯気を立てた、たくさんの小皿料理が並ぶ食卓。
古くても曇りのない鏡に、清潔な浴槽とトイレ。
「洗濯物があるなら出してねー」と声をかけられて、ボサボサ頭でお腹をポリポリと掻きながら部屋から出てくる――。
なるほど。
実家というものが少し、わかりかけてきた。
⋯⋯実家って、控え目に言ってサイコーだ!
そうして今年の春休み、「しばらくの間、ゆっくりしたい」と言って、子どもが帰省してきた。
恨み言を並べて、ドアを叩きつけるように出て行った頃には、こんなふうに帰ってくることなど、想像すらできなかった。
予定が決まると私はすぐに、子ども部屋に風を入れ、カーテンを洗濯して、いつもより少し念入りに掃除をした。
滞在中、私は張り切って旬の食材を選び、手間をかけて調理した。
そして日頃のインスタント食品を封印し、子どもの幼い頃の好物ばかりを次々と食卓へ並べた。
子どもはさほど嬉しそうな顔もしないし、ことさらに会話が盛り上がる訳でもない。
ただ良く食べて、良く眠り、WBCをテレビ観戦して、大谷選手の活躍に歓声をあげていた。
そうして、来た時よりも少し顔色が良くなり、少し体が軽くなったように見えた。
発つ朝に子どもは、部屋着や日用品をいくつか、このまま置いていってもいいか、と言う。
どうせまた帰省するのだから、と。
いいよ。もちろん。
いつでも帰っておいで。
ここは、あなたの実家なんだから。
私は、そう子どもに言いながら、これは私が言われたかったことなんだ、と思い至る。
そうか。
実家って、こんな感じなんだ。
温かな実家がある人も。
残念ながら失くしちゃった人も。
はじめから、なかった人も。
すべての人に。
実家より、愛を込めて。
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