見出し画像

魔女宅が何故こんなに胸をしめつけるのか

外出禁止が続く毎日、それぞれのルーティンが決まり始めてきたことだと思う。

私は昼前に起きだし、その日の気分によりパンケーキを焼いてみたりして、ぼちぼち朝ごはんを食べる。食べながら日本のニュースやyoutubeを見る。

その後パジャマから部屋着へと申し訳程度の気分転換のために着替えて、嵐のコンサート動画(この度のコロナによる外出自粛により、ジャニーズ事務所公式からYouTubeチャンネルで期間限定公開されている)をみながら飛び跳ねたりしてこれから食べるであろうポテチのカロリーをほんの少しごまかす。そう、私、嵐ファンです。コンサートにいけない状況になったので、延期が決まってホッとしました。

そのあとは、友達か家族とライン電話をしたりしなかったり。そして海外ドラマをとにかく見まくる。英語圏のものは英語の字幕をつけて勉強も兼ねて。ただペーパーハウスだけはスペイン語なので日本語でみちゃう。とんでもなく面白いドラマなのでまだ見てない方は是非。気づけば一人で挿入歌のBella Ciaoを口ずさむほどどハマり。

そんなこんなで夕方に差し掛かると小腹が空く。数日前に作って冷凍してあるキッシュをたべる。足らないのでミニトマトとかカニカマとか適当につまむ。

そしてまたNetflixへ。気づいたら数時間。。。そしてまた腹は減る。大したことは何もしていないというのに。本当に信じがたいが毎日腹は減る。何かしら料理を始める。ただ海外ドラマは野菜切ったりしながら流し見していると展開がわからなくなるから問題だ。ここでタイトルの魔女宅がでる。(やっとかよ)この、夜の料理の支度と晩御飯の時間にジブリを見るのが好きだ。なにせ大好きで何度も繰り返し見ているから展開を知っている。ちょっと目を離しても話についていけないことがないのだ。ただ昨日、私はそんな自分に反省した。やっぱりジブリは流し見なんかしちゃいけないのだ。一瞬のディティールに神が宿っているのだから。

本当になんでこんなに胸が締め付けられるんだ。ちょっとびっくりした。

子供の時は、魔女という設定と一人きりの旅立ちにワクワクして、最後は大団円。エンタメだ!音楽とか絵がいいからこんなにときめくんだー!くらいにしか思っていなかった。黒猫のジジが話せなくなる事にはとんでもない悲しみを覚えたが。

でも30代になって、気づいたらとっくにキキを追い越していて、キキが苦しんだことのほとんどに身に覚えがあった。

親の心配をよそに、旅立つことにワクワクして、目の前に続く未来しか見ていない。この歳になると親がいかに大切に思っていてくれたのかを振り返ることができるようになり、キキのお父さんお母さんのちょっとした言葉や仕草にキキへの愛が見えて、胸がきゅっとなる。

夢と希望を抱いて挑戦するが、出鼻を挫かれることばかり。自分が信じて始めたはずのことを疑いだしたり。途中で話ができなくなるジジの言葉は、実はキキの心の声だったらしく、「ねえ、違う街にしようよ」と弱気な言葉を見せる時、日本に帰った方がいいのかなと何度となく思った自分の心の声と重ねた。仕事も上手く行かずくじけそうになったキキのために魔女の宅配便の看板となるパンを焼き、帰ってくるのをウロウロしながら伺う、優しいパン屋のご主人やオソノさんを見て、もうこれ以上頑張れないかな、と思うその時にそっと支えてくれた友達を思い出し。

遠く離れて会えない孫のためにニシンのパイを焼くおばあちゃん。希代のおばあちゃん子だった私はこのマダムが好きで好きでたまらない。せっかくのパイを「私これ好きじゃないのよね」と素っ気ない孫娘。後で後悔するなよ、一緒に過ごせる時間はあまりにも短いんだ。

自分の唯一の長所だと思っていた飛行すらできなくなり、闇落ち。誰にでも、自分には何もないと思って落ち込んだことがあるだろうと思う。マダムがキキのためにケーキを焼き、「これをキキという子に渡して欲しいの。この間すごくお世話になったから。ついでにその子の誕生日を聞いてきて欲しいの。またケーキを焼けるでしょ?」これでもう涙が抑えられなかった。自己否定で死にそうな時、誰かに自分がしてきたことで喜んでもらえて、その人に誕生日を祝いたいと言ってもらえるような関係が築けたことで無条件で自分の存在価値を肯定してもらえたような気持ちになる。

自分の十数年の海外生活の縮図みたいな経験を、とてつもなく美しい絵と音楽と共に、この一時間半強で追体験する。震えた。

若い時の感情の震えはものすごくビビットだ。不思議なもので学生時代のアルバイト先の夢を時々今も見たりする。年齢を重ねるごとに少しずつ感受性の反応が鈍くなっていく気がする。認知症の老人はなぜか若い時のことばかり思い出す。好きな人が他の女子と下校しているのを見ただけで苦しかったあの頃はもう遠い。自分の感情の振れ幅が辛かったはずなのに、今ではすごく貴重なことだったのかもしれないと思う。

そんな自分に立ち返らせてくれる作品なのかもしれない。

これからまたたくさん胸を震わす経験ができたら素敵だなと思う。コロナ禍が過ぎたら、したいことがたくさん浮かんだ。ノートに書いておこう。自分を支えてくれる希望になるはずだ。

まだまだときめかないと。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?