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もういない君と話したかった7つのこと #12

しがらみだらけのヤンキーたち

 僕は、まずKが、自信の得られるコミュニティに属し、そこでそれなりに世間とうまく折り合って成長していけば、そのうち一人で生きる自由を獲得するのではないかと考えていました。
 ただ、その所属するコミュニティ自体の問題も無視できません。
 以前、精神科医の斎藤環さんと「ヤンキー」についての対談イベントを行ったことがあります。
 ここで言うヤンキーとは、昔ながらの「不良」というイメージに近い性質を持った人々のことです。
 僕は昔から内向的なオタク気質なのですが、高校時代から、まわりがほとんど全員ヤンキーだったせいで、そうした文化のセンスも混じってしまっています。
 ヤンキーの人たちは、コミュニケーション能力がすごく高くて、まじめに働いている人よりも気楽そうに見えることはありませんか。
 さらに言えば、誰とでも仲良くなれて、いつも自由で(時には傍若無人で)、そして強気なイメージを持っていませんか。

 けれども、実は人とつながれば、つながるほど、人間は不自由になります。
 なぜなら人間は社会性というものから逃れられないからです。
 人と人とのつながりが多いということは、それだけしばられる社会性が増えると言うことです。
 社会の価値観を自分の価値観として捉えていくことを「社会性の内面化」と言います。
 たとえば、親に「ピーマンを食べなさい」と言われれば、「ピーマンは食べないといけないもの」という考えが頭に残ります。
 群れのルールを守る動物のように「習性」として、身に染み付いてしまうのです。
 そうして、どんどん社会性が増えていくと、次第に他人の価値観から逃れにくくなります。
 つまり仲間との絆が強固になればなるほど、不自由になっていきます。
 それは、先輩─後輩という関係で考えるとわかりやすいでしょう。
 自分の友人にも、すでに40代ですが、いまだにその関係から抜け出せずにいる人がいます。
 彼は昔、本当にグレていたため、今の仕事もかたぎとは呼びにくい仕事に就いています。
 おまけに、彼らの就職先というのは、時にはいわゆる詐欺集団だったりするので、社会的には完全にアウトです。
 こうしたことを見ると、かつてのヤンキーの絆が、セーフティネットのように働いて、その人にとっては働き口が見つかる、ということも言えます。
 けれども、普通に働いていても、いきなり昔の先輩から電話がかかってきて、「ちょっと、金貸してくれよ」なんていうことも多々あります。
 そこで、お金がないからといって、「先輩、金ないっすよ」などと、とてもではないですが言えません。
 彼がそのことで愚痴をこぼしていたのを見て、「不自由だなあ」としみじみさせられました。
 それはコミュニティにしばられている、と言えます。
 確かに「逃げ場となるコミュニティにたくさん属するべき」ということを言ってきましたが、こうなると本末転倒です。
 ヤンキーの例で言えば、「たくさんのコミュニティに所属する奴はクズだ」という価値観を持ったコミュニティもあるわけです。
 そうしたものに支配されてしまうと、自由でありたいという希望まで崩されていってしまうのです。
 だから、そうした価値観にとらわれないように、「たくさんのコミュニティに属してもかまわない」と考えてくれる、ゆるいコミュニティにも属さないといけません。
 そんな風に様々なコミュニティを見るうちに社会性とバランス感覚が磨かれていくのだと思います。


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