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もういない君と話したかった7つのこと #21

4つめ 「後ろ向き」でも生きる強さを

無理に前向きになることもなし

 仕事を得たことで、「外」とのつながりを得て自意識が少し軽くなったと思われるKは、その一時期、確かに僕の言う「平凡な自由」に近づきかけていたように感じていました。
 前向きに選択肢がひろがる生き方に向かっていたように見えました。
 しかし、突然、働いていたマンガ喫茶が潰れてしまいます。
 他にもいろいろな悩みがあったのかもしれませんが、その時期からまたKはふさぎ込んでしまいました。
 前向きな行動で失敗したとき、人はとても落ち込むものです。
 それまで考えていた未来が暗い闇に閉ざされてしまったような気分になります。
「それでも前向きに生きようぜ!」
 そう言っても、きっとKは間違いなく「いやだよ」とあっさり答えたでしょう。

 では、どうすれば良かったのでしょうか。
 彼の死後、いろいろと考えて、体験してきた今の僕なら、まずはKに「後ろ向きの自由」を勧めるかもしれません。
 というのも、僕は、よく世間で言われるような「前向きに考えて生きることが立派だ」とは思えないからです。
 むしろ重要なのは、後ろ向きのままでも生きていくしぶとさを獲得することではないでしょうか。


絶望しまくるカフカは、なぜ自殺しなかったか?

『変身』の作者として知られるフランツ・カフカが、まさにそうした「後ろ向きの自由」のなかで生き続けた人でした。
 彼は生きているあいだはずっと無名で、死んでから評価された人です。
 生前は本当に後ろ向きな人だったようで、たとえば、

〝将来にむかって歩くことは、僕にはできません。
 将来にむかって駈け込むことは、将来にむかってころげ込むことは、将来にむかってつまずくことは、これはできます。
 一番うまくできるのは、倒れたままでいることです。〟

 これなどは、カフカが書いた有名なラブレターですが、ネガティヴながらどこかユーモアも感じさせます。
 カフカの文学は、他の誰とも比べようがない独特のものですが、ドストエフスキーとはまたちがった「こじらせ感」を持った作風です。
 ドストエフスキーがままならぬ現実に逆ギレしながら格闘しているのに対して、カフカは現実がつらすぎて完全に別世界へトリップしているような、奇妙な幻視感があるのです。

 カフカは自殺することなく人生を最後まで生きています。
 彼はなぜこんなにもあらゆることに絶望していたのに、自殺しなかったのでしょう。
 友人のマックス・ブロードが手紙のなかでこう書いています。

〝君は君の不幸のなかで幸福なのだ。〟

 僕は決して「後ろ向きな生き方」を強く勧めるわけではありませんが、それを選ぶ自由は肯定したいのです。
 後ろ向きの自由は、人との付き合いを減らし、孤独を友とする、選択肢を狭める生き方です。
 失敗すれば、病気になったり、最悪死んでしまいかねない危険な道なので、できれば通らないほうがいいです。
 ただし、選択肢が少なくなる分、入ってくるノイズが減ります。
 そうしたことから、自分に対して冷静に観察でき、いろいろな考察が深まり、一生分の自信を得ることもあります。
 これまでの人生において、みんな何度かは後ろ向きに考えてしまう時期がありませんでしたか。
 それは多感な中学・高校時代かもしれませんし、働き始めて「やりたいこと」の壁にぶつかった時かもしれません。
 そこでうまくバランスをとるためにも、「後ろ向きの自由」に慣れておくのは悪くないと思います。



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