もういない君と話したかった7つのこと #09
素直に「さみしい」と言っていい
社会性やコミュニケーション能力というと、なにか難しく思えます。
自分はおもしろい話ができない、嫌われてしまうのではないか、笑われるのではないか、自分みたいな人間が……いろいろな理由で一人になっている人がいると思います。
そういう人のために、人付き合いのコツを教えましょう。
1つめは、素直になることです。
2つめは、人を否定しないことです。
Kは、一緒に食事をしているとき、たまに少しお酒に酔って、
「自分はいい人間になりたいんだ。優しい人間になりたいんだ。誰かを助けたいんだ」
と漏らすことがありました。
そういう正直さを見て、僕は、これはなにか尊いものだと感じていました。
前向きな面と後ろ向きな面、どちらが本当のその人の姿なのか、それを問うのはあまり意味がないことです。その両方、まるごとその人なのです。
片方の自分だけが本物だと思ってしまうことが不自由のはじまりです。
だから、どちらの自分も、気にせず出してしまえばいいのです。
裏表がない人というのは、そういうタイプの人で、他人にとっては案外つき合いやすいのです。
「素直な自分はネガティヴで邪悪だ」という人は、それでもいいのです。
ただし、2つめの「人を否定しない」というのを思い出してください。
この2つさえ守っていればいいのです。
しかし、仲良くなっても相手に依存してはいけません。
それは自由とは逆の行為です。
足りないのは、コミュニケーションする自信
コミュニケーションで大切なことは「人を恐れない」ということです。
Kが言っていた「やっぱり人が怖い」という言葉がとても印象に残っています。
人というものは、初対面の人に、どうしても「怖い」と思ってしまう習性を持っています。
警戒心のようなものです。
その怖さを、僕なりに解釈すると、「自分が見下されるんじゃないか」、「僕は変なやつだと思われてるんじゃないか」とか「心の中では、僕のこと、嫌いなんじゃないか」とか、動物的に品定めされている感覚なのではないでしょうか。
社会人になるとやたらと「コミュニケーション能力の有無」というものが問題視されるようです。
中には「何よりもビジネスに必要なもの」とまで言う人がいます。
こうした異常なまでのコミュニケーション能力を求める傾向を見て、社会学者の鈴木謙介氏は、「コミュニケーションで承認を与えるまえに、まず自信を与えないといけない」という話をしています。
これは僕も重要な指摘だと思います。
つまり、多くの人は、コミュニケーション能力がないわけではなく、それを発揮するための自信喪失状態なんじゃないか、ということです。
先ほどの僕の例でいえば、「怖くない」というのは、自信があるということに言い換えられるかもしれません。
確固たる自分への信頼があれば、どんな相手であろうと怖れることなく接することができます──が、そんなにもメンタルが強い人はなかなかいません。
問題は、どうすればその自信が得られるのかです。
学生を前に何も言えなかった僕……
自信を失う背景には、だいたい人の評価が関わっていることが多くあります。
「人が怖い」というのは、誰もが持っている恐怖心です。
人に見られ、評価されることほど恐ろしいことはありません。
僕も、初めて人前で話したとき、本当に落ち込むことがあったんです。
ある日、知り合いの大学教員から「講義で小説について考えていることを話してほしい」という依頼が来ました。
初めてだったのですが、なんとかなるだろうと思い、なんにも用意せずに当日を迎えました。
大学の教室に入ると、30名くらいの学生さんたちがズラッと座っていました。そんな中、知り合いの先生に、「じゃあどうぞ」と言われた瞬間に、僕は頭が真っ白になってしまった。
(ああ、ヤバい……)
気づいたら黒板に、自分でも良く分からない図を描いていたんです。
「これは本格的にヤバい」と焦るほど、生徒のほうが見られないんですよ。
一人でブツブツ言いながら、ずっと黒板を睨みつけて、なにかをガリガリと書いていって、
「僕みたいな中途半端な物書きがなにを言ってるんだろう……」
「学生たちもきっと僕のことをバカにしている」
「もう帰ったほうがいいんじゃないか?」
とか、とにかく後ろ向きな想像が膨らんでいく。
10分くらいそうしていたら、一番前の学生さんが「はい」って、手を挙げたんです。
「良かった、助かった……」と思って、「あ、はい、なんですか?」って笑顔で聞いたら、その男子学生が、
「今日、僕は、こんな話を聞きに来たんじゃないです」
と、言ったんです。
その瞬間、部屋がシーンと静まりかえりました。
たまりかねた先生が「まあまあ……」と助け船を出してくれたのですが、その後のことは記憶にありません。
もう完全にトラウマになりました。
本当に「二度と人前で喋らない」と痛感させられた経験です。
よりよい生活のために役立てます。