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家族ならわかりあえるって誰が決めたの


別に虐待されたわけでもなく、特別厳しいわけでもない。なのに家がすごく苦手になってしまったのはなぜなんだろう。私はずっと家族に心が開けない。


はじまりは親の離婚

私が8歳、姉が13歳のときに両親は離婚。
私は両親の不仲にまったく気づけておらず、そういえば専業主婦だったはずの母は仕事を始めて、私はある時から放課後すぐ家に帰れずクラブに行くことになった。

当時母から父は出張でしばらく帰らないとだけ聞かされており、お迎えに来てくれた母との帰りの車で毎日「今日はパパ帰ってくる?」って聞いてたな。


鮮明に覚えている夜がある。
姉がお風呂にはいっている間に母に呼ばれ、「離婚ってわかる?」と。8歳の私は知っていたようで、その瞬間理解して母にしがみつきながら大泣きした。

中学生の姉は離婚する前から不仲に気づいていたそうで、先に説明されていたんだろうな。離婚の理由は「20歳になってからね。」と教えてくれなかった。そのあと3人でいちごを食べた。

大好きだった父がいなくなった理由。
それがずっと気になったまま思春期を過ごしているうちに、自分のことを捨てた父も、子供だと思って教えてくれない母も嫌になって友達か恋人との時間だけが楽しくて、母には本音で話さなくなった


母と2人暮らし

私が高校生のうちに姉は独立し東京へ。大学生のころからほぼ帰ってこない姉だったのであまり寂しくなかった。でもなんとなく気まずい距離感の母と2人になるのは憂鬱だった。

高校時代は部活に打ち込み、大学生になったら深夜までバイトと遊びで母が寝たあとに帰り、朝は母が出てから起きる生活でほぼ顔も見なかった。



これを聞いたらもう終われると思ってた

20歳の誕生日。私はここまでずっと心に秘めたままこの日を待ってた。
意を決して聞いた理由は父の不倫だった
そうじゃないといいなと思っていたけどやっぱりそっか。
母と子供2人を捨てて他の女のもとへいった父が気持ち悪くてしかたなくて二度と顔も見たくないと思った。

それでももう会うこともないだろうし時間が解決してくれるだろうと思った。



心を殺した年

大学3年21歳。姉がお盆に帰省しているときに、父と母が最近連絡をとっているような話がでる。心がざわついた。今更戻ってくるなんてありえない。なんで姉は嬉しそうなの。

私以外の3人で話は進み、その年の年末ついに父が家に遊びにくることになった。
10年以上ぶりに父と母が一緒にいる。3人は嬉しそうで、自分だけ家族じゃないような気がした

父のことは今後も許せないけどそれでも母に感謝はあったし、就職とともに絶対に家を出ると決めていたので1人にする心配もある。
母が許したならそれでいい。この気持ちは墓まで持っていこうと決めた。



そういう人間はそう簡単に変わらない

墓まで持っていく決意は意外とすぐに必要なくなった。
22歳の冬、姉が帰省して3人で飲みながら話しているときに母から父と戻る話はなくなったと報告が。聞いてみると結局また他に相手ができたそう。


あの男は何度母を傷つければ気が済むのか。そこで気持ちが溢れた。
本当はずっと大嫌いで戻ってくるのが嫌だったこと。それでも母が良いならしぬまで黙っていようと思っていたこと。自分だけいつまでも許せないことが苦しかったこと。全部吐き出した。


そこで判明したのは姉は離婚の理由を聞いていなかったこと。
不倫していたとそこで知り、衝撃を受けていた。
もし先に知っていたら姉は味方になって反対してくれていただろうか。

母からは、離婚したときに思春期だった姉のほうが苦しいと思っていたらしく、8歳だった私がそんなに苦しんでいたと気づけなかったと。



この日を境に心の底にあった黒い感情がすっと消えた。
未だに母とも姉とも話すときは少し緊張してしまうけど、予定通り23の春に実家を出てからの方がずっと関係は良くなったように思う。

今年のお盆も帰ろう。






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