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投資#237 原型はここにあり!お祭り!


書籍の情報


タイトル:やくざと芸能と 私の愛した日本人
著者:なべおさみ
出版社:イースト・プレス
発行日:2014年5月10日

書籍の抜粋


やくざは、2つの分類が出来ます。
一つは、賭博を業とする博徒です。これは渡世人と呼ばれました。
もう一つは祭礼や盛り場の路面で物売る香具師。野士とも言いました。仏教が伝来して、仏具を売る段になって困った時に利用されたのか、武士の職を失って浪人となっている御家人です。この人々は、学を収め常識に長けております。当時には高かったろう仏具の類を、近郷の分限者に売り捌くには、応分の能書きを並べる必要がありました。それに適合したのです。
しかし妻子を養うためには、少々の誇りを捨てなくてはなりません。人は「香具師」と言うと武士のプライドが許しません。それで自らは、皆、野に下がった武士と称して「野武士」と名乗りました。
が、世の風は冷たい。武士の方からも文句が出ました。「武士でなくなった者が武士と名乗るのは、如何なものか!」と。
解決策は、「武」を取り去る事に決着させられました。「野士」です。ここから人々は香具師と書いてヤシと呼びました。この人々が被差別民の中に組み込まれましたから、物売りは町屋と呼ばれる表通りでは商売は出来ない訳です。そこは商人の場所で、香具師は祭礼の寺社境内や河原に生活の場を求めました。
香具師はテキヤと今は呼ばれていますが、それは江戸時代に入り、「店を構える者は、その店名を奉行所に届け出よ」と御触れが出たのがきっかけです。
当時の江戸の裏店で香具師の人々は、半弓を使った射的(しゃてき)
屋をやっておりました。これは表向きの商売で、二階で、時間で体を売る的屋娘の売春が本当の業でした。いわゆる、青線です。そして店先には大きな射的がぶら下がっておりましたが、店名などありませんでした。それでお上への申告書に「的家」と書いて出しました。マトヤです。これを役人は「てきや」と勘違いし、以後は、香具師、野士、的屋となったのが真実です。でもお上はいつもミスを認めません。
この的と野士の「や」を合わせて、「てきや」とし、業界言葉の倒語から「てき・や」としたとの説は後付けでしょう。この人々は博徒の渡世人に対して、稼業人と呼ばれるのです。
「縄張り」というのは、その土地の寺社の祭礼で、稼業人達が店を出す所は、その地の親分の仕切りで境内や自社の門前に決定されました。そこを区分するために、縄を張って示しました。それで縄張りを、「シマウチ」と呼ぶことになったのです。
この稼業人達の敬う神様は、仏教の渡来が中国を経てきた関係から「神農」を奉ります。片や渡世人が敬うのは、「天照大神」となるわけです。

2つのやくざ

感想

抜粋した理由

読めない漢字や
知らない言葉の歴史が
説明されていました。

これが正しいのかと
言われると・・・

どうなのかな?
と思いますが、

一つの説として、
知っていると、ネタに
なりそうです。

本文

―――1―――
香具師という言葉を知りません
でした。

お祭りのときに露店を
出している人たちは、
こう呼ばれていたのですね。

今でもそう呼ぶのかな?

野士ともよばれたそうで、
もともとは武士で、
商売をするから「武」の字を
はずしたのか・・・。

「ヤシ」は「奴」の
インターネットスラングでも
あるのですね。

言葉遊びなのかもしれ
ませんが、言葉が生きてる
感じがします。

この変幻自在さがです。

―――2―――

縁日などでよく見かける、
「射的」。

これについても言及があります。

おおよそ文字から読み取れない
感じの説明がなされています。

江戸時代、奉行所に届出る際に、
記載に困ったのでしょうね。

おおぴらにできる商売でないから
言葉を、いい意味では考えた、
ということでしょう。

――――3―――

「縄張り」もお祭りが語源と
いわれたら、そうなのかも
しれないなと思う説明です。

いまのお祭りも、そうなので
しょうね。

仕切る人がいて、その指定された
区画に出店する。

今では商業施設が、
縁日をやる時も、区画を整備して、
出店者を募集しているのか、
強制なのか・・・契約に従って
いると思われます。

ビジネスの展示会も、
企画会社が仕切る人となり、
区画を整備して、企業等が
出展しますものね。

原型はここにありでしょうか。

まとめ

原型はここになあり!お祭り!


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