見出し画像

パレード

 ドラム音が軽快なリズムを刻みながら高らかなトランペットの音が晴天へ突き抜けていく。伸びやかなBGMは青く爽やかな空によく似合う。それから地べたに座り込んだり、後方で立ったりして、パレードで踊るキャラクターたちに手を振り夢に浸る人々も、演出に華を添える。
 隣で立つ彼女は乾燥したチュロスを片手に、大衆に混じって手を振っては叩き、にこにこと弾けている。
 春の朝のような柔らかな桃色のドレスを着たいと言っていた。私は藍色のドレスを着たい、そう希望を連ねると、朝と夜が混じってきっときれいになると彼女はうっとり笑った。きらきら、星のような、ふわふわ、雲のような笑みを浮かべていた。
 その笑顔に、幾度救われたことだろう。
 初めて手を絡ませた日のことや、唇を合わせた日のこと。柔らかな髪を撫で合うこと。閉ざされた箱庭でひっそりと秘密を共有するように生活している日々と、まばゆさに満ちた俗世の光は不釣り合いのようでもある。誰からの理解も共感も得ずに、肩を狭めて生きてゆくことについて、私は大きな躊躇を憶えなかったけれど、彼女は大衆から目を逸らさずに大衆に馴染むことを目指した。その信念の力強さに惹かれたのは、他でもない私だろう。
 長い過程を必要とし、その間に心無いさまざまな出来事に傷を負っては、たぶん、その傷を舐め合うことにも酔っていた。二人きりでも構わない。誰に理解されずともお互いが理解していればそれでいい。
「だめだよ」
 いつかの夜、彼女は芯の通った眼光で静かに言い放った。
「それじゃあきっと、いつか切れちゃう」
「切れるって、何が」
 白昼夢に浸っているようにぼんやりと尋ねると、彼女は一瞬言葉を選び、唇を開く。
「私達の縁」
 不可視の糸が簡単に切れてしまう可能性について、彼女は酷く恐れていた。たとえば、男性と結ばれること。子供を望むこと。一度は訪れた羨望が脳裏に過って、手が離れてしまうことを恐れていた。そんなことにはならないとそのたび言い聞かせたけれど、確証はどこにもない。諦めて離れたひとたちのことだって、私達は知っている。時に、愛だけではどうにもならないことがある。
「だから、私達の間柄のことは、きちんと認めてもらいたい」
 外堀を埋めることで逃げられないように囲うような彼女の執念ともいうべき意志。そこには女らしい淀んだ昏さが露出している。そういう部分も含めて私はこの女性を包みたい。頑張らなくたって大丈夫だと安心させてあげたくて、痛々しさを内包したやわらかいぬくもりを抱いた。
 パレードが続いている。
 彼女が歓声をあげた。彼女の好きなキャラクターが観衆に向けて踊り、手を振っている。彼女は顔を赤くして子供のように振り返している。さりげなくチュロスを持ってあげると、両手を使って愛情を表現した。内側に生産される活力を惜しまずに発散できる彼女の人間性が好ましくて、まばゆくて、そんな彼女だから私は好きなのだった。彼女とだったら、恐れるべきことがらにも、視線を逸らすことなく立ち向かっていける、淡い勇気が生まれてくるような予感がしている。今までだって、これからだって。
 愛すべき夢の存在と擦れ違った時間は束の間のことで、ゆったりとかのものを乗せたゴンドラは過ぎていき、紅潮した顔で彼女は振り返った。喧噪が過ぎ去って手持ち無沙汰になった後、昂揚したままの沈黙に潜り込むように指を絡ませた。桃色のシンプルなネイルを施した無垢で細い手。彼女は視線を上げ、すぐ間近に向けて白い歯をさり気なく見せた。密集した熱気に混じって、手中は熱を帯びていた。


 そんな大切な日々について回想していて、私は瞼を開けた。
 塵一つなく磨かれた鏡に映る、深い藍色の立派なドレス。星屑をちりばめたようにラメをきらめかせた遊び心と、大柄なフリルを惜しげ無くあしらった柔らかな雰囲気が、突き放しすぎるような印象を与えない。本当におきれいですよ、とスタイリストの方が頬を溶かして頷いた。認められているのだと、私は何故だかその一言だけで不意に崩れ落ちそうになる。かつて二人だけの箱庭でひっそりと生きているだけでも充分幸福だと考えていたはずなのに、誰かに祝福してもらうことについて切望していたのだと思い知る。
 巨大な扉の前に立つ。隣には淡いピンクの晴天をまとった彼女が立っている。桃色をベースとした可愛らしい化粧で笑いかけてくる。巻いた髪を丹念に結い上げられた根元には、大柄の紅色の花が飾られている。可憐と大胆、子供らしい純粋さと大人びた信念を併せ持つ、彼女をそのまま体現したようなドレス姿。
 純白ではない私達の隣には、花婿は居ない。引き合った花嫁は、扉が開かれた先へ向けて歩き出す。
 拍手がきこえる。おめでとうと、まばゆい光の中から声がきこえる。


 了

「パレード」
三題噺お題:おめでとう、大切な日、BGM

たいへん喜びます!本を読んで文にします。