美しい空のこと
これは昨日の話のことなのだけれど。
体調がさほど良くなく自宅で療養気分を味わいながら、少し模様替えをしつつ、本を読んでいた。多少疲れた頃、まだ少し明るかったので、少しだけ外に出ることにした。コンビニで支払いをしなければならないのだった。今どき、契約更新のために口座自動引き落としもできず絶対外に出なければならないなんてなんなの、と思わずにはいられないのだが、仕方がない。未だにはんこが必要とされる世の中なのだから諦める。契約違反で脅されても困る。
そういうわけで、雨上がりのにおいが薄らとのこる外へ出た。
空を仰ぎ、目を奪われた。
夕方は光と闇の入り交じりが美しい。手前側は雨雲の気配がまだ残った分厚い雲。西へ向かえば、ちぎれた雲が幾重にも重なり、そのひとつひとつにまばゆい白とくっきりとした青みのかかった影が走る。雲の奥は、薄い青。最も西側は、横に雲が伸び、その隙間から西日が輝いている。
電線や建物に阻まれているのが、惜しかった。全て、なにもかも、なにもない場所でその壮大な空をずっと眺めていたかった。スマホのカメラで収めようとしたけれど、無理だった。大空のスケールがあまりにも大きくカメラでは収まりきらないし、なにより幾多もの遮蔽物が邪魔だった。肉眼でじっと焼き付けるように静かに立ち尽くし、ぐるりと見回した。
なにもない場所に行きたい。
田舎を出て、ずっと都会にいる友達に空の狭さを愚痴ると苦笑されたことがある。空が狭いからといって、なにか問題があるか? というような。
生活に支障はないかもしれない。ただ、見たいだけなのだ。可能ならば、ずっと上から、本当になにもない場所から見たい。空も、日に照らされる町並みも、人も、木々も、水も。
そんなことはさすがに無理なので、せめて田圃が広がってるだけだとか海だとか建物のほとんどない場所に行きたい。世間が狭小な田舎暮らしはそれはそれで面倒なことも多いだなんて、身に沁みて知っている。それでもあの何もなさが、ときおり強烈に恋しい。何もないがゆえに、何もかもが奥まで見通せる、遠い居場所。
たいへん喜びます!本を読んで文にします。