神様の水を飲んだ猫⑤

手術後、退院してからはリハビリに歩き続けた。とにかく毎日散歩に出た。朝食時、聞かれてもないのに「今日はあの辺りを攻めてみる」と奥さんに話し、帰ってきてから子供の頃クワガタを取った木が見つからなかったとか、庭が素敵な家があったとか、見た物を話した。平日の午前中などに、住宅地をいい歳したモヒカンが歩いていると、不審者目線も沢山感じた。こちらから挨拶しても返ってこない時もある。全然いい。正解。間違ってない感覚だ。平日の午前中、普通みんな働いている。

「リハビリ中なんですよね!肺がやぶれてしまって、、はは、今は歩くのが仕事なんですよ」

と、歩きながら話し出したらいよいよ通報されそうだったから、散歩ルートは毎日変えた。行く方向によって見る物も変わる。当たり前だけど景色が変わると、物語も変わる。

池の近くの木に、大きな蜘蛛の巣を見つけた時は感動した。絵に書いた様な蜘蛛の巣。見開きLPジャケットくらいあって下の方を、つっつくとすぐさま中央部にかまえる家主、蜘蛛に振動が伝わってすぐさま向かってくる。ちょっと触っただけで、獲物の気配を感じて動く。本当よく出来たシステムだ。

「すごいな!ここはあんたの城なんだね、こんな場所を自分で作って素晴らしいよ、頑張ってね」

「なんや!冷やかしか!このリハビリ野郎!こっちは遊びちゃうど、生活かかっとるんやど!」

またくるわ、蜘蛛に軽く挨拶してまた歩きだした。歩き出すと色々思い出す。この道を子供の頃、毎日歩いた。たしか排水溝の穴を踏まずに歩くのが好きだった。40を過ぎてまた同じ道を、穴を避けて歩いてる。俺の旅は何処に向かっているのか。

老人みたいな事を言うと、歩くのは結構好きだ。中野新橋に住んでた頃、よく新大久保アースダムとか、新宿ロフトから歩いて帰った。下北沢、渋谷からも近くはないけど頑張れば歩いて帰れる距離だった。そんなみんな大好き中野新橋の立地もあって、本当に沢山の人が家に来てくれた。2DKの部屋に、打ち上げから流れた10人くらいが、うちに泊まった時、朝起きると人間が上手く円になって輪になって寝てた。人間が作る花みたいだった。写真に収めてないのが悔やまれる。

そして来る人、来る人に愛猫マイケルは可愛がって貰った。人見知りな猫ではなかったから誰にでも寄っていくけど、あんまり人数が多いとちょっと上から人間観察がするのが好きだった。

切れるものはなんでも噛み切る癖もあった。特にコード系。携帯の充電器、イヤホン、何回買ったかわからない。いつだったか、いつもみたいにスルメを食べる様にステレオのコードをかじってた。

「グギャ!」と聞いた事ない声を上げて全力疾走していった。しばらくしたらステレオが火を吹いて御陀仏。猫が感電した声をはじめて聞いた。神様の水を飲んだ猫は、それから太めの線をかじらなくなった。

リハビリも終わって、しばらくしたある夜の事、たしか弾き語りの練習をして車で帰る途中だった。田んぼ道を走ってファミマがある交差点を右に曲がる時、ハンドルを切りながら妙な感覚に襲われた。景色はまるで違うのに

'青梅街道から中野通りに入る様に曲がってる'

自分に気がついた。

それからは、中野のハナマサに行くみたいに地元のマックスバリューに行き、ツカサに行くようにトライアルに行く。環七が23号線に変わり、ムーンステップに行くようにロッカーズクラブに向かう。ついに非日常がいつもの日常になった。まるで季節が変わるみたいに非日常に慣れて、馴染んだ事を交差点右折中に、突然知らされた。

それは衝撃的だった。それからは昔の封じ込めた記憶の景色は、溶けてなくなって新しい景色として、受け入れられた。中野に居ても、三重にいても自分という入れ物は、変わらない。ここから自分が何をするかだけだ。本当に当たり前なんだけど、気がつけない時がある。このびっくりした出来事を書いて納めておきたい、いつかまた遠くに行く時はこの事を思い出そう。今いる場所から遠くに行く人が居たらちょっとでも、何かの足しになりたい。そんな想いでnoteを始めてみた。いつも助けてくれる周りの皆さん、本当にありがとう。

娘と公園に行く。約25年近く来ていなかった小さな公園。昔、砂場の砂を全部かき出そうとした。そこから世界の裏側に行けると思ったからだ。砂場は埋められて、なくなっていた。子供の頃遊んだ木の下に、青くて小さい花が沢山咲いている。昔見た時より綺麗だった。何故だか、25年間誰かを待たせてた様な気持ちになったから、誰も居ないベンチにありがとうと呟いて帰った。


遠距離バンド存続のため、移動費、交通費に当てます。旅は続くよどこまでも