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サファイア・ワルツ

短編小説

◇◇◇


 自動車教習所の門の外に、誰が植えたのか雪柳がまっ盛りだった。私はこの花の呼び名を知らなかった。春になるとまるで動物の尻尾のように群生するこの白い小粒の花の名前がどうしても知りたくて、私は妻に訊ねようと一本だけ摘み取り、病院にまでそれを持っていった。四月のよく晴れた日のことである。

 妻は山菜採りの最中に腰をひねったのが原因で、持病の坐骨神経痛が悪化し、先週から入院していた。まだ立って歩けるほどには回復していなかったが、それ以外はいたって健康だった。入院して一週間も経つとさすがに暇を持て余すようで、私が病室のドアを開けたとき、妻は社交ダンスのビデオを観ている最中だった。看護婦の誰かに、今流行っているのだと吹聴されたらしい。妻はこういったモダンなものが好きなのだ。それに、夫の自分が言うのもなんだが、妻は近頃、綺麗になったようである。血色の良い唇は薄く紅を差しているように見えるし、愛嬌のある瞳は好奇心の強さも兼ね備え、私に社交ダンスの話をしているときなどは特に輝きが増している。もともと顔の皺は少ない方なので、年齢も冗談で五十歳の手前だと言っても、知らない人ならそれを受け入れてしまうだろう。実際には私とさほど変わらないのだが、今の妻は二十歳近くも若やいで見える。

 私はベッドの横にある丸椅子に腰掛け、自分で茶を淹れ、自分が持ってきた見舞いの茶菓子を頂いていた。妻は私が摘んできた雪柳を手にして、さも可笑しそうに眺めている。

「あなたが花の名前を知りたいと言い出すなんて、どういう風の吹き回しかしら」

 はて、どういう風の吹き回しだろう。妻がそう言うのはもっともなことで、自分でもそれはよくわからなかった。ただ、ひとつだけ言えるのは、最初に教習所を訪れたとき、この雪柳に目を留めていなかったとしたら、私はその門をくぐらずに踵を返していただろうということである。決心はしたものの、いざ、教習所の前に立ってみると、年寄りの私には、ここが場違いな気がしたのだ。けれども、目の前には溢れんばかりの白い花々が、柔らかな風を受けて首を縦に振っていた。まるで私を快く迎え入れてくれているかのように揺れていたのだ。それを見て、私は体中の強張りが解き放たれるのを感じた。迷いは霧消し、逆に千の味方を得たような、そんな勇気にも似た思いが私の中に生じたのだった。

「教習は順調に進んでいるの?」

 雪柳を指先でくるくる回していた妻が、思い出したように私に訊ねた。

「ああ、順調だ。昨日ようやく第一段階が修了した。普通なら二日間で終えられるところを、私の場合、五日もかかってしまったがね」
「そういうのを順調とは言わないのよ」

 妻はくすくすと、まるで若い娘に戻ったような声で笑う。私は湯呑みに口をあて、病院の窓から広がる春の空に目を向けた。ちょうどつがいの雲雀が、会話でも交わしているような飛び方で目の前を横切っていくところだった。お茶を飲み干したあと、何気なく目を元に戻すと、ベッドから半身だけ起きあがらせていた妻が、私が顔を向けたら何か言おうと待っていたようだった。

 それは、ありふれた言葉ではあったけれども、このときの私の心に滲みるには充分だった。

「あなた」と真面目な声で妻は言った。

「あんまり、無理はなさらないで」

◇◇

 私は現在、六十八歳である。この歳になってから車の運転を習うことに、いささかの逡巡もなかったと言うつもりはない。高齢者の免許所得が容易ではないことくらいは、私にもたやすく想像がつく。原付バイクの免許は若い頃に取っていたが、普通自動車ともなれば実地の技能修練が必要である。認めたくはないが、昔ほど体は動かなくなり、年々反射も鈍くなっている。だが、妻が腰を痛め、治療のためには通院が必要であることを整形外科の医師に告げられたその日、私は一人で乗った帰りのバスの中で、考えに考えたあげく、これからでも自動車の免許を取ろうと決心したのだ。

 私たちの家は、病院まで行くのにバスで二十分はかかるところにあった。昔ながらの家で、裏手にはこの時期ならばぜんまいなどの山菜が摘み取れる小高い山が控えている。自然には恵まれているが、交通の便となると、自家用車を持たない者にとっては定期運行のバスしかなく、幹線道路にあるバス停までも、歩けば老人の足で十分はかかった。健康ならまだしも、腰を痛めた妻にそれは酷であろう。

 結局私は、妻が救急車で運ばれたその日のうちに、入院をする手続きをした。いろんな意味でそれが一番いいように思えた。そして、上履きの底を鳴らして看護婦たちがすたすたと忙しそうに歩き回る待合室に佇み、私はこれから先のことに思いを巡らしていた。妻とは一緒に連れ添って今年で四十五年になる。だが、離れて暮らすことになるのはこれが初めてではないだろうか。そう考えたら、帰り着いても誰もいない家のことや、一人で過ごす長い夜のことなどがとても淋しいものに感じられて仕方がなかった。正直に言おう。私はこのとき初めて、妻が自分にとってかけがえのない存在であることがわかったのである。今更ながら、私は妻に多くのものを与えられていたことに無自覚であった。そして、それは多くのものを受け止めてもらっていたことに無自覚であるのと同義なのだ。

 私は地元のねじ会社で、製品に焼きを入れ、メッキを付ける仕事をしていた。思えば六十歳で定年を迎え、さらに嘱託で五年間勤めたその会社を辞めるまで、私は職場での不満や、うまくいかない仕事の愚痴を、いくつ妻にこぼしてきたことだろう。関係のない妻に八つ当たりをしたことも、一度や二度ではなかったはずだ。妻の方も、町の大規模な給食センターで長い間調理を担当していた。従業員が多い環境の中にいれば、人間関係で嫌な思いをしたことだってあっただろう。けれども私の記憶の中にある妻の顔は、いつでも頬笑んでいる。笑顔で私の愚痴を綿のようにくるみ、親身な相槌で私の不満を吸い取ってくれていた。永い間夫婦がうまくいっているのは男の度量が大きいからだというのなら、それは、私には当て嵌まらないことだ。

 病院で別れ際、妻は初めて一人になる私を案じてか、食事の支度や風呂の沸かし方といった生活の必要事項を細かく説明しようとした。私はそれを制し、「大丈夫、心配には及ばない。飯くらい自分で炊けるし、魚も焼ける。味噌汁だってうまく作れる。君は君の体のことだけを心配していればいい。何も考えず休んでいなさい。明日、着替えを持ってくる」そう言った。自分なりに優しさを込めたつもりだ。妻はベッドの上から唖然とした表情で私を見つめていたが、やがてその顔に、柔らかな笑みが広がっていった。

 私の知る限り、妻は正直者である。そして、何よりも素直だ。このことが、どれほど素晴らしい価値を持っているか、私はこのときようやく気が付いたのだった。

◇◇

 五月の連休が終わって一週間が過ぎた頃、教習は第三段階に入っていた。敷地内のコースから出て、実際に路上で運転ができるという、いわゆる仮免許が取れるまであと一息のところである。だが、一切がスムーズにここまで来られたわけではない。私はこれまでに縦列駐車でポールを四本へし折り、無人の教習車に接触してドアミラーを壊し、縁石に乗り上げた勢いで植え込みを轢き倒して前輪のタイヤをパンクさせた。これらのことは、私を教習所内でちょっとした有名人にさせてしまったほどだ。

 私を担当している教官は佐々木といって、まだ二十代後半の青年だった。目下、私の最大の悩みは、思うように上達しない車の運転のことではなく、この若い教官だった。おそらく彼と私はその前世において、傍若無人に振る舞う青年将校と、それにかしずかなければならない年配の兵卒、といった間柄だったろう。教習車の中での彼はさながら暴君だった。三段階も半ばを過ぎたこの日も、私は相変わらず彼にいびられていたのである。

「じいさん、何メーター走ってるんだ?」

 車を発進させて間もなく、佐々木がぼそっとした口調でそう呟いた。私には彼の言っている意味がわからなかった。彼はいきなりダッシュボードをこぶしで叩きつけると、いらいらしたように大声を張り上げてきた。

「じいさんよ、サイドブレーキを引いたまま、何メーター走ってるのか訊いてるんだよ」

 そうして彼は助手席側についている補助ブレーキを、こっちの心臓が止まるくらいおもいっきり踏みつけたのだ。

「アクセルを踏み込んでもスピードが出なかっただろうが。普通ならすぐに気付くもんだぜ。なあ、じいさんよ、痴呆症が始まったんなら病院に行ってくれ。車の免許はもうろくしてから取るもんじゃないんだぜ」

 私はハンドルにしがみついたまま、しばらく動けなかった。急ブレーキをかけられたことがよほど精神に応えたのだ。

「何をぐずぐずしているんだよ。さっさと車を出せよ、後ろがつっかえているだろうが。まったくとろいじいさんだな」
「すみません」

 私は息を整え、再びシートに背をあずけると、慎重にサイドブレーキを解除した。だが、悪いことは重なるものだ。せかすような彼の罵声に煽られ、慌ててシフトレバーをローに入れようとしたが気持ちが焦ってうまくいかず、クラッチを踏み替えた途端、エンストを起こした。その瞬間、佐々木は手にしていたバインダーで横っ面をはたかんばかりの威嚇を示し、私を心底脅かした。

 近頃は、教習の時間になると極度の緊張が生じてきて、それが私にはストレスとして感じるようになっていた。原因はわかっていた。この極限的な緊張は、すべて車を運転する際の気持ちの高ぶりからくるのではなく、佐々木に怒鳴られる恐怖に起因するそれであることだ。自分の息子よりも歳が下の若造に、いいように罵られるのは屈辱としかいいようがない。だが、乱暴で無礼極まりない彼の口のきき方を、最近ではなるべく聞き流すよう自分に言い聞かせている。この男は教官の中でも特別なのだ、そう思うことにしたのである。

◇◇

 その日は、仮免許の実地試験に失敗した日で、私は佐々木から「右折ができずに交差点内で立ち往生するのは、あんたが年寄りで状況判断が鈍いからなんだ」と言われたことが頭から離れなかった。悔しいと思う反面、その通りだと気弱にも思う。あと十歳若かったら、あんな教官に一言たりとも生意気なことは言わせないのに。憤った頭の中で思うそんな言葉も、冷静に立ち戻ったあとには虚しいだけだ。

 夕方近く、私はいつものように病院を訪れた。外にいるときはそうでもなかったが、病室に入ってみると、黄昏の色合いがぐっと濃くなって、何でもないものまで鄙びた感じに見える。

「ありがとう、買ってきてくれたのね」

 ベッドの上のシーツ、作り付けの白い棚、窓に掛かるカーテン。黄色い日差しを容赦なく浴びているこれらは、まるで懐かしい時間の経過の中に運ばれてしまったように色褪せて映る。それと同じ日差しを、妻は浴びているのだ。そして私も。

「どうかしたの?」
「いや」

 私は脇に抱えていた書店の包みを、妻の膝の上に載せた。社交ダンスの月刊誌と外国の古い流行歌が入っているCD。いずれも店員に訊ねて探してもらったものだ。

「本気でダンスを始める気かね?」
「憧れているだけよ。こうして眺めて楽しんでいるだけ。でも見て、何だか素敵じゃない?」

 雑誌をめくりながら妻が言う。

 こんなときの妻を観察すれば、心とは裏腹なことを口にしているのがわかる。神経痛も回復に向かい、一人ででも歩けるようになっていた。退院も間近だろう。そうなるとじっとしていられないのが私の妻だ。だが、例えそれが、ゆったりとしたテンポでも、ダンスはしばらく無理な体だ。我々は、決して若くはないのだ。

「もし、わたしがダンスを始めることになったら、男性のパートナーが必要になるのよ。どう? あなた、一緒にやってみる?」
「私にダンスなど似合わんよ。それに、練習についていける歳でもない」
「そういうものかしら」
「そういうものだよ。もう若くはないんだ」

 はたして、年寄りに希望など持てるものなのだろうか。

 人は生きている限り必ず老いる。これは真理だ。そして、人は老いを感じると、死について考えるようになる。若い頃と比べれば、私も体の自由が利かなくなった。血圧が少し高いため、毎食後の薬が欠かせない。視力も低下し、物忘れもする。衰えはあちこちに顔を出し、生殖活動についてもそれは例外ではない。ありとあらゆることが、死というベクトルに向かって減退していく。なるほど、生きることは死ぬことだ、とはこういうことか。我々はこの世に生まれ落ちた瞬間から死に向かって収束されていく存在であり、この宇宙の法則から逃れることはできないのだ。しかも、皮肉なことにこの法則は、我々に、最後は老いながら生きることを強いる。

「そうそう、この曲よ。わたし、これが聴きたかったの」

 けれども、目の前の妻を見ていると、老いることと年齢は別のことであるように思えてくる。いや、きっとそうなのだろう。何かに夢中になっている人にとっては、年齢など他人に指摘されて初めて意識に昇るもので、それまでは、そんな事実さえも忘れているに違いないのだ。

 妻は看護婦に借りたCDラジカセの音量を調節していた。やがて控えめな音で前奏が始まり、どこかで聴いた覚えのあるような女性の歌声が耳に入ってきた。私は、オールディーズと書かれているそのCDケースを手にした。

 テネシー・ワルツ。妻が聴きたがっていた曲というのがそれだった。

「いいでしょう? この曲。わたし大好きよ」

 黄昏が差し込んで、鄙びた感じのするこの部屋に、のどかなこの歌はよく似合っていた。歌っているパティ・ペイジという名の女性に心当たりもないし、英語の歌詞の意味もわからないが、どこか懐かしいと感じたのは、彼女の持つ声の響きのせいだろう。昔を思い出し、幸福な気分に包まれているような歌声。ベッドの上で、妻は目を閉じていた。私はその唇に目をやった。黄色い日差しの中で、それは微かに動き、メロディーを追っていた。

◇◇

 どうにか仮免許の試験に合格すると、私にもようやく自信が備わってきたようで、最終段階の路上教習は順調すぎるほど進んでいた。十時限目の今日で修印がもらえれば、卒業検定にたどりつける手筈である。教習所の門のところにあった雪柳の花は、今では散ってしまって跡形もないが、初めてここに立った日のことはよく憶えている。あの日からほとんど毎日この門をくぐり続け、およそ二ヶ月が経過したのだ。大切なのは最後までやり遂げること。これは私の六十八年間の人生で得た教訓のひとつだが、この二ヶ月の間は何度かそれを手放しそうになった。原因は佐々木である。彼の教習中の辛辣な態度と暴言の数々は、私を苦しめた。しかし、彼に対して感じていた脅威は、日増しに薄れつつある。それは、私の運転が上達してきたせいもあるだろう。彼は、ただ闇雲に私が年寄りの教習生だからどやしつけていたわけではないのだ。若い女の子を相手の教習でも、彼は手加減したりしなかった。したがって、聞こえてくる彼の評判は、私が受けている印象と大差のないものだった。厳しくて恐い教官。嫌みたらたらで、ムカつくやつ……。確かに、どうやっても好きになれない人物ではあるが、私は、彼の教習に対する一貫した姿勢に、単に性格的な問題ではない、何か信念のようなものが働いていると、近頃考えるようになったのである。

「じいさん、少し訊いていいか?」

 大きな交差点で信号待ちをしているとき、佐々木が突然話しかけてきた。

「その歳で車の運転を習い始めるからには、じいさんによっぽどの事情があるんだろうな。それとも老後の道楽なのかい、この免許は?」

 さすがの私も、道楽呼ばわりには腹が立った。私は不機嫌な態度を隠しもせず、しかし、正直に、病院に通う妻のためだと答えた。

「でも家族がいるだろう? 何もじいさんがこんなたいへんな思いまでして、免許を取らなくてもいいだろうに」
「妻と二人暮らしなんですよ」

 そう答えた私に、彼はふうんと頷くと、こう言った。

「それにしては、じいさん、楽しそうだぜ」

 この佐々木の言葉は、私に意外な衝撃をもたらした。

 私が免許を取っているのは妻のためだろうか。それは最初だけだったような気がする。私はどうしても免許が欲しくなってきたのだ。妻のためではなくて、自分のために。私はいつの間にか、この歳で夢中になれるものを見つけていたのだ。そんな私の様子を、この口が悪く態度の横柄な若い教官は、きちんと見抜いていたのだ。

「ほらほら、信号が変わったよ、ぼうっとしてんじゃねえぞ。もたもたしてると修印なんか押してやらねえからな。いいのか、じいさんよ」

 私は急いでクラッチを繋いだ。とてもスムーズな発進だった。

◇◇

 ニュースでは前日から梅雨入り宣言を発表していたが、そんなことは嘘のように今朝の天気は晴朗だった。裏山の稜線が青空にくっきりと浮かんでいて、まるで鮮やかな切り絵を見ているようだった。

 私は自宅から車を出発させた。これから妻を病院に送るところなのである。妻は車の中にまで社交ダンスの雑誌を持ち込んでいた。よくまあ飽きもせずに何度も同じ頁を眺めていられるものだ、と私は感心してしまう。

 先月、退院した妻が久しぶりに我が家に帰ると、台所の調理台やテーブルの様子を見渡してにたにたと笑い始めた。私が大量に買い置きしておいたインスタント麺や即席の味噌汁、鯖や鮭の缶詰に気付いたのだろう。「そんなことだろうと思ったわ」と小さく呟くのを聞き逃さなかった私は「帰ってきて最初に言うことがそれか」と憎まれ口を返したが、どうしてだろう、嬉しい気持ちは隠せなかった。

 二日前に中古の軽自動車が我が家に届いた。試運転のとき、初めて私の横に乗った妻は「思ったより運転が上手ね」と感想を述べた。当たり前だ、と私は妻に言った。伊達に二ヶ月間苦労してきたわけではないのだ。おかげで、卒業検定は一度目で受かることができた。合格を知ったそのとき、最初に私の頭に浮かんだのは佐々木のことだった。おかしなものだが、あんなにも忌々しく思っていたというのに、私はこの合格を彼にすぐ知らせたかったのである。教官室にいた佐々木は、相変わらず無愛想だったが、私の顔を見るなり手を差し出し、ほんの一瞬だが破顔した。そんな佐々木を、私は今でも忘れられない。

 車のカセットで「テネシー・ワルツ」が流れているせいもあり、妻は助手席にいて機嫌がいいみたいである。ハンドルを握る私も気付いたら鼻歌を歌っていた。機嫌の良さは伝染するもののようだ。

「金婚式って、結婚何年目かあなたわかる?」

 妻が突然、私に訊ねる。

「五十年目だろう。銀婚式が確か二十五年。そうか、我々はあと五年で金婚式だ」
「そうよ。でもね、四十五年目にも記念式の名前がついているの。あなた、知っていた?」
「知らないな。何だろう」
「サファイア婚式というのよ。このダンスの雑誌のコラムに載っていたわ」

 妻はそのあと、五十五年目がエメラルド婚式、七十五年目がダイヤモンド婚式だと教えてくれた。

 私はこのとき、妻を見て思ったのだ。私たちは、夫婦になって幸せであっただろうかと。年老い、希望も健康も少しずつ削り取られ、それでも健在でいることにどんな意味があるというのか。その答えはまだ出ていない。けれども、私も妻もお互いひとりぼっちではなかった。それだけは言える。現に私の横には今も妻がいる。軽自動車の、決して広いとは言えない空間の中、運転席と助手席という必然性のある場所で隣り合わせている。歌を口ずさみ、ときどき目を合わせもする。外では景色がくるくると変わっている。

「何だか、ダンスをしている気分だよ」
「あなた、何を言っているの?」

 私は妻にこう言いたかったのだ。こういうかたちで四十五年目のワルツを踊るのもわるくないだろう、と。

(了)


四百字詰原稿用紙22枚(8035字)

◇◇◇

《参考動画》

■Patti Page - Tennessee Waltz (1956)


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