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スティーヴン・ミルハウザー『イン・ザ・ペニー・アーケード』《砂に埋めた書架から》29冊目

 スティーヴン・ミルハウザーを日本にいち早く紹介してくれたのは翻訳者でもある柴田元幸氏である。

 1996年に『マーティン・ドレスラーの夢』という長編で、ミルハウザーはピュリツァー賞を取った。そのことから遅かれ早かれ、彼の作品は翻訳されただろうと思うが、それよりも早い時期に、日本の読者がこのミルハウザーの作品世界に触れられたことは、たいへん幸運であったと思う。

 ミルハウザーが取り上げる題材は、ある意味、偏っている。
 機械仕掛け、自動人形、博物館、魔術、幻影、遊園地、漫画、黎明期のアニメーション、古典文学のパロディ、盤ゲーム、絵画……など。これらに興味がなかったとしても、ミルハウザーの言葉で語られると、これらの物たちは、現実以上のリアリティを帯びて、目の前に立ち上がってくるのである。

 文章の構築度、緻密さ、精密さにおいて、ミルハウザーは他の小説家に引けを取ることはないだろう。外国語のことは詳しくわからない私ではあるが、彼の英文を日本語に翻訳することの困難さは想像するに難くない。センテンスも決して短くはないからだ。その訳業だけでも私は翻訳者に敬意を表したいが、出来上がった日本語のテキストは流れるように美しく精妙で、本当に素晴らしい。

『イン・ザ・ペニー・アーケード』は作品集である。構成は三部に分かれている。第一部の中編『アウグスト・エッシェンブルク』はもっともミルハウザーらしい完成度の高い作品で読み応えがある。また、第三部の表題作『イン・ザ・ペニー・アーケード』『東方の国』の二作は、短い章立てで物語を積み上げていく構成で、これはミルハウザーの作品にときおり見ることができる独特な手法だ。

 実はこの作品集には、私がもっとも多く読み返している作品が収録されている。第二部に入っている『橇滑りパーティー』という青春小説である。特に褒める人がいるわけではないと思うが、個人的に好きでたまらない。ある意味、ミルハウザーらしくない作品であるが、古き良き時代のアメリカティーンエイジャーたちがここには活写されている。彼らのライフスタイルやパーティーの様子、そして少女の揺れ動く心理が感性豊かに描かれており、抜群にうまいのだ。

 ミルハウザーは、今後も注目すべき作家であるし、新刊が待ち遠しい作家である。



書籍 『イン・ザ・ペニー・アーケード』スティーヴン・ミルハウザー
柴田元幸・訳 白水Uブックス

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■追記■

 この書評(というよりは感想文)は、2004年9月に作成したものです。

 冬になり、またこの季節が来たかと雪国の私は思うわけです。タイヤ交換、毎日の除雪作業、重い灯油タンクの運搬、乾かない洗濯物、窓ガラスや玄関ドアの結露、軒先から突然落下する氷柱という凶器、地吹雪によるホワイトアウト、車のスリップ、寒い、冷たい、凍える……。除雪で腰を痛めて神経痛にまで悪化したのも冬のことでした。

 そんな苦手な季節ではありますが、クリスマスや正月の雰囲気は好きですし、以前はスキーも楽しんでいました。そして、こんな時期に読みたくなるのがスティーヴン・ミルハウザーの『橇滑りパーティー』という短編作品です。ほぼ、毎年読んでいます。映像をあれこれ思い浮かべながら読んでいます。読み返す度に細部まで想像するようになり、それこそミルハウザーの小説のように、想像力が現実に近付いてしまい、まるでそういう映画を観たかのように、手作りの橇コース、パーティー会場になっているアンダスン家の屋敷、登場する学生たちの面々、主人公のキャサリンが潜り込む松の木の空間、月光を浴びた雪景色、パーティーで賑やかな室内の様子が、くっきりと見えるまでになってしまいました。

 自分でもどうしてこの作品が好きなのか、よくわかりません。ただ、この小説に出てくるパーティーはとても楽しそうです。気楽なクラスメート同士が集まり、男女がごちゃごちゃしている雰囲気が少し懐かしく感じてしまったのかも知れません。小説の舞台は1950年代の終わりか60年代だと思いますが、その頃のアメリカの学生たちが出てくる映画があれば、ちょうどこういう感じかなあ、などと思いながら、この小説を想像しています。

 ミルハウザーの描写は細部まで念入りに作られているので、鮮明な妄想が可能なのだと思います。そして、出てくる学生たちが皆、実在感があって、何度も読んでいると親和的な愛情が湧いてきます。私はときどき面白いことをぽつりと呟くブラッドという根が優しい青年に好感を持ちました。嫌われ役のソニア・ホームズも、この物語には欠かせないアクセントとなっています。短編の中でほんのちょっとしか出て来ないという学生がほとんどなのに、それが記憶に残ってしまう書き分けの技術。人物造形という面で見ても、ミルハウザーの創作に手抜かりはありません。

 この冬も私は、彼らと橇で滑降し、月光を浴びながら松の木の中で思いをめぐらし、キッチンでポップコーンを作り、ピアノを伴奏にロックンロールを熱唱するために、この作品を読み返そうと思っています。

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