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読書と女子


本を読む知的な女の子に憧れがあった。

多分、「涼宮ハルヒの憂鬱」の長門 有希が可愛いなと思った事がきっかけだと思う。

中学生になって、朝の10分間好きな本を読んで良い「朝読書」の時間が始まった。
私は、この日のために図書館で借りた「吾輩は猫である」という本を読んでいた。

「読んでいた」と、いうより文字を眺めていた。

【言葉の意味が分からない。】

全く、本が読めなかった自分に私は驚いていた。
本を開いた1ページ目で、(この言葉の意味はどっちなんだろう)と躓いて(つまずいて)しまって先に進む事が出来ない。

例:「第一毛をもって装飾されべきはずの顔がつるつるしてまるでやかんだ」など。

そして、書いた作者の体感時間のテンポがゆっくり過ぎて、性格の不一致から読む気が起こらない。

昔から、他人の気持ちになって物事を考える事が苦手だった。むしろ、他人が使う言葉や体感速度や性格が真逆な人間を思うと、私の身体がゾワゾワと拒否反応を示してしまう。

高校生くらいになって、やっと自分に合う本などが分かる様にはなったけれど。
国語の授業の「現代文」で、森鴎外の文章を読んだ時に気持ちが理解出来なくて頭が割れる様に痛かった。

決めつけられた文章を読むのは苦手だ。
世界は分からないものなのに、こうであると言われてもピンと来ない。
貴方には、そう世界が見えていると思ってみても。私は「貴方」では無いから、5%もその世界に入れていないと思う。

日本語は英語に比べたら、言葉の種類が沢山ある。だから、自分の抽象的な気持ちを伝える手段は他の国に比べたら沢山ある方なのかもしれない。
だけど、言葉は語りすぎてしまうし。なにより、イメージを固定し過ぎてしまう気がする。

もっと、今、その場から崩れてしまいそうなくらい曖昧で良い。

今、完成したんだよねってくらい中途半端でいい。
絵はさ、「自由」なんだよね。
だから好きで、やめられないんだよね。
出来上がった絵(世界)を見て、訳が分からないけど涙が止まらないみたいな、不安定さが心地が良いんだよ。

私を好きになれる手段が絵を描く行為で有り、狂ってしまうくらい自我を見失う行為も絵を描くって事なんだと思う。

よし。今日も絵を描くぞ!!!!!

FIN

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