2020年色んな事があった。 令和になったり、オリンピックが中止になったり、コロナウイルスが大流行して経済が暴落したり、マスクや食べ物の入手が困難になった。 「当たり前」のことが大きく変わると、人間は普段の日常を取り戻そうとする。 「幸せ」というのは、比べるものがないと計ることができないのだろうか。 「辛さ」と「幸せ」は隣りあわせじゃなくちゃだめなのだろうか。 前よりも楽しいとか。前より苦しいとか。なんなんだろう。 私も「当たり前」が崩れると、どうしたらいいの
どうして「女性」と「男性」に分かれているのだろう。 私は「人間」であって、それ以上でもそれ以下でも無い。 宇宙人が地球にやってきて、私たち人類を認識するのに「性別」よりも『何者』なのかが1番に気になるはずだ。 子供の頃、ヒッチハイクする事を夢見ていたけど「女の子だから危ないよ。やめときなよ」と言われて死ぬほど悔しかった。 20歳になってお酒を飲んで、酔った私の姿を見た友達が「男性の前でお酒を飲むのはやめようね」と言った。死ぬほど気持ちが悪くなった。 『女の子だか
人生の「ゴール」ってどこだろう。 夢が叶ったら…結婚したら…死んだら…と、人それぞれ目指しているゴールが違うと思う。私はどうなんだろう。 小学校の時は「歌手」になりたかった。 中学校の時は「漫画家」になりたかった。 高校の時は「絵本作家」になりたかった。 私はずっと「孤独」で戦ってきたんだなと思う。夢を誰かに話したことなんて無かったし、友達なんていなかった。 私の見えている「世界」や「音」や「色」は特別なもので、雑音(人間の会話)が入る事が許せなかった。 誰
「芸術」繋がりで音楽の話をしようと思う。 音楽ってずるい。(いいな) 絵画は美術館に足を運ばなくちゃ見れないという手間があるけど、音楽は凄く「身近」な存在だと思う。 デパートに買い物に行っても、BGMで音楽は流れているし。 カラオケも音楽の延長戦の「娯楽」として普及しているし。 テレビで「音楽」を取り扱っている番組も多い。 今はアプリさえ入れれば、CDショップに行かなくても音楽を気軽に聴ける時代だ。 音楽のジャンルの多さにも驚かされる。 『ロック、アニソン、ア
絵を始めるまで「コンプレックス」の塊だった。 顔も性格も特技も趣味も。 親から褒められた事がなくて自信がなかった。 小中高の学校の先生にも「めんどくさい奴」というカテゴリーで相手にされなかった。 勉強で100点をとっても、スポーツで県大会16位になっても上には上がいたし、褒められるどころか「もっと頑張れ」と言われた。 自分の存在価値も、生きてる意味もよく分からなくなって、真冬の極寒の川に首まで浸かって「死」を身近に感じたこともある。 親に構って欲しくて、病院に
子供って「蛹」に似ている。 見えない外の世界を想像しながら、期待している。 早く大人になりたいなと、妄想したり夢を見たりして、羽ばたけるその日を待っている。 漠然と「大人」ってかっこいいイメージがあった。 お金を沢山稼げて、好きなものが買えて、夜更かしして、お酒を飲んで。 早く大人になって、画家になって、そして、毎日笑顔でいられたらいいな。 大人になると、子供の時は良かったなと思う。 給食、休み、友達、実家、青春。 人間は「いいな」と、ずっと憧れ続けるものな
「これがモチーフだから」と言ってバナナを渡された。 高校の課題。鉛筆デッサンで、果物などを描くというものだった。 2週間後に提出する様にとの事で、早速制作にとりかかった。 色鮮やかな黄色、皮をむくと表面と中身の質感が変わって見ていて面白い。美味しそうな匂いも、自分の中の表現したい気持ちを掻き立ててくれた。 綺麗だなぁと思って、光が入る窓際の席で描くことにした。 3日の朝、事件が起こった。バナナが黒く変色していたのだ。 描いていた絵と見比べると、アウトライン(稜線
人間は「情報操作」されている。 それは生まれた時から、始まっているかもしれない。 テレビで流れている「情報」は面白おかしく報道されがちである。それがエンターテイメントとして、割り切れるなら良いと思う。重要なのは、「真に受けない」ということ。 それをそうだと信じた結果、「差異」が生じたりする。歴史の教科書だって。何処までが人間の都合よく書かれているもので、何処までが真実かも分からない。 ただ、それを嘘かもしれないと突っぱねるのでは無く。歴史をある程度、勉強してみると「
美術系の高校に入って、直ぐの夏休み。修学旅行で、イタリアに行った。 1番最初に、レオナルド・ダヴィンチの「最後の晩餐」を見て、(うえ〜っ)と思った。 絵は凄くデカいし、描写とか上手いし、何より存在感があった。 けど、私は分からなかった。 好きとか。嫌い以前に、凄い作品なんだろうなぁとしか思えない。絵の見方を先生達は教えてくれない。圧倒されるしかない受け身の姿勢がなんとも歯痒い。 イタリアの美術館を巡って、ラファエロとかミケランジェロとか、いわゆる西洋の巨匠達の作
天井から自分の部屋を眺めていた。 扉がぎいっと言って、母が何もないベッドに顔を埋めて泣いていた。 部屋は、これから誰か引越しをするのか、綺麗に片付けられていた。 母は黒い服を着ていた。 一気に気持ちがぐあぁぁと音を立てて、心がきゅうとしぼんで真っ青になった。血の気が引くような寒さが身体全身を覆った。 それと同時に、私の体は、まるでスカイツリーのエレベーターで一気に最上階にいくぐらいの速さで、空へ、宇宙へ飛ばされた。 辺りは真っ暗だけど、星のような、よく分からな
雨が上がった後の匂いが好き。 普段は色鮮やかな山や空が、ぼんやりと暈けて景色一帯にグレーのフィルターがかかる。 自分の絵を見た後に、景色をみて「答え合わせ」をする。 結構違うことばかりだけど、それでいいと思った。 毎日、ちょっとずつ見えてる世界と絵が合っていけばいい。 私の場合のリアル(現実)は、こころと世界の結びつきが大事だったりする。 空が食べ頃のみかんの様で、雲は美味しそうな桃色。頭の真上を見上げたらインディゴの夜と昼間のスカイブルーが混ざって、グラデーショ
私の見てる「世界」を、誰かと共有する事なんて不可能だと思っていた。 私は、人の話が聞けない。 正確には、10分以上経つと何にも聞こえなくなってしまう。 全神経を尖らせて集中しても、徐々にフェイドアウトしてしまう。 私は、その人が選んだ「言葉」を見ているのだ。 方言でも、癖でも、気に入っている言葉でも、何でも。 今まで人間が生きてきた集大成が、貴方の放つ言葉にたくさん詰まっている。 例えば、「みんなそう言ってるよ」の”みんな”とは誰なんだろう。とか 「おばさん
本を読む知的な女の子に憧れがあった。 多分、「涼宮ハルヒの憂鬱」の長門 有希が可愛いなと思った事がきっかけだと思う。 中学生になって、朝の10分間好きな本を読んで良い「朝読書」の時間が始まった。 私は、この日のために図書館で借りた「吾輩は猫である」という本を読んでいた。 「読んでいた」と、いうより文字を眺めていた。 【言葉の意味が分からない。】 全く、本が読めなかった自分に私は驚いていた。 本を開いた1ページ目で、(この言葉の意味はどっちなんだろう)と躓いて(つ
ずっと物を見つめていると、何か「別のもの」に見えてくる。 子供の頃、おじいちゃん家の天井を眺めていたら人の顔に見えて怖かった。 幽霊とかお化けとか、怖いものだと誰かに聞いているから、恐ろしく思える気がした。 多分、幽霊もお化けも実は怖くない。 「言葉」は、思っている以上に、私たち人間に多大なる影響を与えている。 そろそろ人類は、洗脳から解き放たれる時ではないだろうか。 皆に見えているものが「真実」では無くて。 見ている「もの」が、私にどう見えているのかが大切で
ポケモンやマイクラ、ドラクエなどのゲームには「セーブ」というものがある。 「セーブ」とは、その日あった出来事を、記憶する役割がある。 私達が眠っている間も、世界は動いている。 私は、眠る前までの記憶しか持つ事が出来ない。 眠ってる間何が起こっているんだろう。 眠ることをしないと、「睡眠障害」を起こすと聞くが何でだろうか。眠るという機能は、非常に「機械」的な行為ではないだろうか。 動物や生き物達は、ずっと動いていたら疲れる。 パソコンに例えるなら、稼働しっぱなしだと
いつも決まって行きたくなる、そんな「場所」がある。 白い光が、真珠のネックレスの様に均等な幅で並んでいる。光の近くに寄って電灯を見ると、蛾達がパタパタと飛んでいた。 光はどこまでも、てんてんと続いている。 なにかが、手持ち花火の様に光を伸ばしながら目の前を走っていった。 夜は、最初は良く見えないけど、だんだんと目が慣れて正体が明らかになっていく所が好きだ。 視界が開けて来て、野球場の強い光が水辺にギラギラと伸びてチカチカと弾けている。 色んな「速度」が混在して