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文章を書き、読むことにどんな意味があるのか

気付けば前回の記事から4ヶ月近い時間が経ってしまっていました。色々な環境の変化があり、新しい出会いがあり、変わりたくない関係性を大切にし、そういった諸々に流されながらも何とか自分自身に追いついてきた4ヶ月だったかと思います。皆さんはどんな4ヶ月を過ごしていましたでしょうか?


この4ヶ月実は何度も文章自体は書いていました。noteを開き、文章を書いては消し、そして下書き保存が増えていくという繰り返し。ただ何度それを繰り返しても「公開する」という最後のアクションが出来ずにいました。理由は色々とありますが、何だか自分の文章に納得がいなかったり、公開する必要があるのだろうか?と幾度となく悩み、もっと書きたいことがあるはずと距離を取っていました。変な違和感を感じていたんですが最近ひょんなことから「素直におもったことを書き、投稿すればいいや」とnoteを始めた頃の感情に戻ったので改めて書き直しています。


文章を書くことは何をもたらすか

私は必ずと言っていいほど文章を書く時には、前に自分が書いたものに目を通すのですがその時に何だか不思議な気持ちになります。

これは本当に自分が書いた文章なのだろうか?

私は普段話す時にはこんな言葉を選んでいるだろうか?

どんな気分の時に書いた文章なのだろうか?

いつだって読み返せば文章だけがどこか自分よりも遠いところにいるような感覚がいつもあって、不思議な、ちょっと寂しいような、そして何より疑わしいような気持ちになります。

Writing is Thinkingというパスカルの言葉があるんですが、"書くことは、考えられること"というのが直訳となります。書くためには思考を整理し、言葉を選び、相手に何を伝えたいのかなど考慮すべきポイントが山ほどあります。だからこそ時間が経って振り返るとその時の感情や想い、思考法が鮮明に蘇ります。

色々とありますが私にとっては文章を書くことは、「時間を保存し、記憶を貯めておくために自分にとって大切な活動」何だと思います。


一方で文章を読むことはどんな意味を持つか

こうやってnoteなど色々と文章を書いている私ですが、同じように文章もよく読みます。と言っても小説が大半です。読書家と名乗れるほどではないですが、それでも月に数冊は読んでいます。

長くなるので先に結論を伝えると、私に取って文章を読むことは「自分を含めた世の中を理解するための手段を増やす方法」であり、「自分以外の誰かを知って想像力を拡げるきっかけ」だと今は考えています。

何だか読書をすると言うと「偉いね」なんて言葉をもらったりしますが、休日に映画やドラマを見たり、音楽を聴いたりするのと同じ部類だと私は思っています。多々ある娯楽の中の一部。

小学生の頃、同級生がハリーポッターを全話読んだという話しを聞いたのが読書のスタートです。とにかくあの分厚いハリーポッターを読み切ったという彼女がものすごくかっこよく見えたし、自分だって読めるはず!と対抗心みたいなものを燃やしていました。そこから学校の図書館にある絵本から児童書、伝記などとにかく面白そうなものは何でも手に取ってみて、面白くなかったら返すを繰り返していました。

中学高校と部活や勉強をはじめとして、読書よりも楽しいことを見つけてしばらく離れていましたが、大学生のある日当時付き合っていた人と別れたのがキッカケで読書を再開しました。

自分が今までに経験したことの無い痛みをどう解決したらいいのか分からず本当に「苦しい」という言葉がぴったりな時期でした。友だちに話しをしたり、時には愚痴を漏らしたり…… 忘れようと踠いても全然解消せずフラストレーションだけが溜まっていく日々。そんな時にとにかく色んな種類の小説を読み、語彙や表現を増やし、そして自分の感情を照らし合わせ、文章を書くを繰り返しました。自分では経験し得ることのない他者の人生を知ることで自分の経験をさらに再解釈していました。すぐに癒えることはありませんでしたが、当時の自分や相手の言動や想いに対して言葉を用いて納得したり、表現出来るようになっていくらか気持ちが軽くなった気がしています。何より読んでいる間は色々とモヤモヤしたことを忘れてその世界に没頭することが出来るんです。現実との距離を保ってくれるのが読書でした。

美輪明宏さんの名言に以下のようなものがあります。

すぐキレるのは自分の気持ちを表現する適切な言葉を知らないから。
たくさんの本を読んで言葉を知ればストレスは溜まらない。

この言葉を見たときに、私は深い衝撃と言葉にならないような共感を感じました。「キレる」という事象だけでなく、自分の内に感じるものに対して適切な言葉を知っていると楽になるんですよね。多分私が失恋した時に自分の感情を適切に言葉に出来ずモヤモヤしていたのを、読書が少しずつ解決してくれていたのはこういうことだと思います。

その時の経験から今でも文章を私は読んでいます。身の回りを表現する言葉をもっと多く知って自分の中の世界の解像度を上げたいし、自分では経験出来ないような誰かの人生をもっと知りたい。


この文章を読んでくださったあなたにとって、文章を書くこと、また文章を読むことはどんな意味を持つでしょうか? ぜひコメント欄で教えていただけると幸いです。

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