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ニーハオ_コンニチハ

主婦でもいろんなことにチャレンジしたい私は、中国語を学ぶために中国語教室に通っていた。
古びた雑居ビルの一室に教室はあり、最初入るのに勇気が必要だった。
中国語の先生は若い女性でとても日本語が上手で、教え方も丁寧で学びの場としてはとてもよかった。

「ニーハオ!」
「ニーハオ!」
中国語教室なので挨拶も中国語だった。
中国語の響きの美しさに私は習ってよかったといつも思っていた。

夜間に教室が開かれる時期があって、私も参加することになる。
私が夜の7時前に教室へ入った時まだ誰も来ていなかった。
私ひとり教室の中で待つのは怖かった。
やけに肩こりがひどくなってくるし、これ以上不穏な空気をひとりで吸うのは嫌だった。
マッサージに行ったら肩こりも治るだろうとぼんやり考えていた。

そこへ先生が入ってきて、こっちを見てこう言ったんだ。
「コンニチハ」

いつもは中国語で挨拶するはずなのにどうして?
私もおうむ返しのように「こんにちは」と呟くと先生はにっこりとした笑顔を見せたのだった。

それから夜間教室では幽霊が出るという噂話で持ちきりになっていた。
ある人は教室へ来た時、幽霊が窓にへばりついていたと。
またある人は教室に来た時、に幽霊が泣いていたと。

共通しているのは一番乗りで教室へ入っていたということ。
私は自分も一番乗りできたことがあることを思い出してゾッとする。

そこへ先生が「アナタ モ ミマシタ ヨネ」と話しかけてくる。
「私、幽霊なんて見てませんから!」
「ダッテ アイサツ カエシテ イタジャナイ」
そりゃ先生に挨拶されたら返事ぐらいするよ。
先生は続ける。
「コンニチハ ッテ」
私は脳みそをフル回転させて考える。
あの時先生が「コンニチハ」と挨拶したのは幽霊に向かって挨拶していたんだ。
日本の幽霊が中国語なんて話すわけないから「コンニチハ」だったんだ。
じゃあ、あの時私はずっと幽霊と一緒に教室が始まるのを待っていたんだ。
「マダ アナタノ ウエニ イマスヨ」
私は恐怖でその場を逃げ出し、それから中国語教室へ行くことはなかった。

近くの神社で除霊してもらうと不思議と肩こりは消えた。

それから久しぶりに私はあの雑居ビルを見に行くことにした。
すると雑居ビルは取り壊されて更地になっていた。
近くにいた人に「ビルっていつ取り壊しになったんですか?」と聞くと
「もう10年前になるかな」
そんなはずはない。2、3ヶ月前まで私は取り壊されたビルで中国語を習っていたんだ。
「中国人の幽霊が出たそうで」と返事が返ってきた。
「どんな!?」と私は強い口調で聞き返す。
「若い女性で中国語の教室を開こうとしていたんだけど」
「悪い日本人に騙されて借金だけ背負わされて自殺したそうな」
教室を開こうとしていた?

「私ここで中国語教室に通っていました」
「あなたのような人よくいるんですよ。ここで中国語教室に通ってたって人」

私は彼女の残した怨念に巻き込まれていたのだろうか。
そんなに彼女は中国語教室を開きたかったのか。
都会の片隅で起きた、私の人生の中で大きな事件だったことは間違いなかった。

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