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父の日を前に、気づけば夫の目を見て話していなかった


 何十年も共に過ごしてきたパートナーが息を引き取る時、自分はどんな感じになるだろうか。案外ドライに見守ってるんじゃないかという気もする。受け入れて、静かに佇んでいるような気もする。


 祖父が亡くなった時、私は海外にいて、急遽帰国した。移動中、なんだかいつも通りの感覚だった。そうか、亡くなったか。まぁヘビースモーカーで肺がんだから仕方ない。明日はお通夜か。と淡々と考えていた。
 しかし家に入り、遺体の安置されている部屋に入った途端、大きな何かが押し寄せ、声を上げてしゃくり上げて泣いた。おじいちゃんが亡くなって悲しいとか、もうおじいちゃんに会えなくてつらいとかじゃなく、喪失、生きていた人が死んだという事実が尋常じゃないエネルギーでドンッ、と私を襲った。
 そしてその横で、私なんかよりもっともっと、おばあちゃんが泣いていた。



 ミュージカル『BIG FISH』を観た。片田舎の男が結婚し、子どもをもち、よく働き、歳をとり、がんになり、亡くなる話。ふつーの物語すぎるくらい、どこにでもあるふつーの家族の物語。
 妻が主人公の臨終を看取る。その時、女優さんが演技ではなく顔を覆ってしまうほど、泣いていた。そこにおばあちゃんの姿が重なった。主人公は死を受け容れ、人生を肯定し、すべての人々に見守られ、亡くなる。息子は立派に育ち、主人公の物語を孫に伝えていく。


 作品を見て、未来の私の姿が重なった。夫が亡くなる時、私はあんな風に泣くのか? 子役の子が私の子の未来の姿なのか? 



 今は目の前の子育てに必死で、ともすれば子ども以外のことを蔑ろにしてしまう。夫とは助け合って生活しているものの、あくまでメインは子ども。お互い転職してまだ2ヶ月程度でバタバタしながらなんとか回している。ふと気付いたら、最近夫の目を見て話していなかった。

 芸術の効果は普段忘れていることを思い出させてくれることにある。家族愛、というどこにでもあるがゆえに普段忘れがちなことを、『BIG FISH』が思い出させてくれた。

 ちょうど明日は父の日。夫の目を見て話そう。たいして話すことはないけれど、父親業を頑張ってくれている。日本の中でも上位5%に入るのではレベルで頑張ってくれている。毎週末作り置きをしてくれる。私より働いてるし稼いでるのに、育児家事負担は私と半々。私の出張も観劇もおでかけも、いってらっしゃいと気持ちよく送り出してくれる。
 
 ありがとう、これからもよろしく。健やかな時も病める時も、支え合っていきましょう。


≪終わり≫

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