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悪魔は存在するのか・その弐

(全記事の続き)
この合理化により、人間は安心感を得ることができます。より複雑なことを理解できると勘違いできる為にこの合理化を手放すことができず、成長の妨げになっています。

躾という名の元に親が子供に与える罰の様に、こうした罰への恐怖が原因から注意を逸らしてしまうのです。これは立場の強いものが他者を思い通りにさせようとする都合の良い押し付けです。


物質的に地獄という所はありませんが、自らの信念により死の際にそれを創り出すことはできます。例えばある人が、自らの行為により地獄に落ちると信じ邪悪な人生を歩んでいるとします。それを心の底から信じきっていたのなら、死後地獄はその人を待っていてくれます。

教会に通う人々は神を畏れ、ごく普通に生活を送っているかもしれませんが、教会は彼らに恐怖を植え付けているのです。そして彼らは普通であるが故に自らの不完全さを知っており、些細な罪で地獄に行く羽目になるのだと思い込みます。
これが教会が約束していることだからです。このタイプの洗脳は地獄に対する恐れを持つように仕向けるため、心にダメージを与えます。人々が地獄に恐れを抱くために、教会は地獄を創り出すことに成功するのです。

彼らはそれが自分達の思考が創り出したものであることに気づくまで、各々のバージョンの地獄の中に留まります。一年かもしれないし百年かもしれません。そこに留まる必要がないことに気づくと、その力はなくなり彼らは解放されて、本当にいるべき場所へ行くことができます。(先ずは癒しの神殿かな)



(前回今回の投稿内容は、悪魔も地獄も物質としては存在してはいないけど、エネルギーとして存在してる。創造主の神の一部である私たちも創造できるから、都合よく使える人間は利用してより多くのエネルギーを操作して都合のいい様に創造しているということですね。なので目を覚ませと。著者は1931年生まれのアメリカ白人で教会がよくキーワードとして出てきます。)