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大学卒業までの10年間 〜何を考えて、どう行動してきたか?〜

はじめに

この度、私は慶應義塾大学(理工学部、生命情報学科)を卒業し、この春(2020年4月)から同大学院の研究科へ進学しました。この卒業は、家族をはじめとする様々な方々の支えがあったおかげだと心底感じており、そういった皆様に対するご報告として、これまでの10年間、何を考え、どう行動してきたかを執筆し始めました。しかし、ただ身内へ共有するだけではなく、これから「進学の決断をしていく学生」に向けての一つの教訓となったらいいなと思い、公の場へ投稿する決断をしました。学生でなくとも、「最近の大学生の10年間を読み解いてみたいなという方々」もぜひご一読ください。また、これまでお世話になった方々を出させていただいていますが、ここに記していることは私個人の考えであり、それらの方々に関与しないことだけご了承した上でお読みください。

1. 「通常級」と「支援級」に対する違和感

幼少期を海外(オーストラリア、香港)のインターナショナルスクールで過ごしてきた私は、色々な国から来た個性豊かな友達に囲まれて育ってきました。「みんな違ってそれでいい」と個性を尊重してくれる環境。生徒一人一人の意見を尊重してくれて、どんな意見にも耳を傾けてくれる先生。英語を喋ったことがなかったこともあり、はじめは馴染めるまで時間がかかりましたが、そういった環境に居心地の良さを感じながら育ちました。

そして、小学4年の夏に日本へ帰国し、現地の小学校へ転入しました。そこで、私は一つの違和感を感じました。「通常級」と「支援級」という環境に対する違和感です。正直、当時の私にはそれぞれのクラスに分けている理由がよくわかりませんでした。なぜなら、海外で暮らしていた頃は、障がいの有無に関わらず、それを個性として全員が受け入れ、みんな同じクラスで生活してきたからです。この頃から「障がい」という概念に対して、少し興味を持ち始めました。当時の私は「体に何かしらの不自由のある人」は配慮を受けて、別の教室で授業を受けるという風に認識していました。同時に、障がいのある友達のために、将来は医学の道に進みたいと憧れを持っていました。

今振り返ると、「通常級」と「支援級」という日本の教育制度は、障がいのある人への配慮という点では優れているかもしれませんが、幼少期から環境を分離してしまっているが故に、大人になってからの偏見や差別を生んでしまっていると私は考えます。しかし、日本の教員が生徒全員の個性を尊重し、合理的な配慮をしながら、運営を行える環境にあるとも思えません。なぜなら、日本では教員一人が担当する生徒の人数が多すぎると思うからです。海外のインターナショナルスクールでは、20人の生徒に対して教員が2人いました。一方、日本小学校では、40人の生徒に対して、教員がたったの1人でした。

2. 「理工学部への進学」のきっかけ

このような流れで、当時の私は「障がい」に興味を持ち、当時最も理解のしやすかった「身体障がい」のある人がより幸せになるために、医者を目指し、勉強を私なりに努力しました。また、体力や教養も医者には大切だと医療ドラマで知り、中学・高校では陸上部の主将をしたり、生徒会や有志団体など様々なことにも挑戦しました。しかし、正直なことを言うと、行動という形でトライしていたものの、失敗の連続でした。本当に10打席1安打くらいのプレイヤーでした。しかし、失敗する度に、何故その結果になったのかを振り返り、ひたすらに中学・高校の6年間はタックルし続けました。

勉強においては、国語が苦手で、数学が得意でした。小学校の頃は、偏差値が40も違ったこともありました(それぞれ底辺と天辺の2%)。中学・高校では、国語の勉強にものすごい時間をかけても平均点まで届かないが、数学の勉強では少ない勉強時間でもそこそこの点数が取れていました。これは、経験的な要素に起因するのか、遺伝的な要素に起因するのか、そのメカニズムはどうなっているのか?どうアプローチしたら、自分にも国語の点数を伸ばせるのか?「人間の脳とは大変不思議なもので、謎に満ちている」と子どもながら思っていました。おそらくその背景として、茂木健一郎さん(ソニーコンピュータサイエンス研究所 上級研究員)の「脳を活かす勉強法」という本を小学生の時から何度も読み返し、脳科学というものに魅了されていたことがあると思います。

人の動機付けに対しても、大変興味がありました。陸上部の主将、文化祭の企画責任者、有志団体の副代表などリーダーシップ経験を積ませてもらう機会が多くありました。その過程で、どうしたらメンバーみんなが楽しく取り組めるのか?彼ら一人一人のモチベーションはどこにあるのか?団体が上手く回っている時は、リーダーである自分の立ち回りが良いのではなく、フォロワー側のフォロワーシップ能力が高いだけなのではないのか?などと、答え(教師ラベル)があるようなないような、強化学習のような時間を過ごしていました。結局、このようなことを考えている内に、脳科学への興味がさらに膨らんでいきました。

そして、高校生の時、転機がやってきました。それは、牛場潤一 准教授(慶應義塾大学 理工学部 生命情報学科)のご講義でした。牛場准教授は、リハビリテーション神経科学の研究をされていました。具体的には、脳卒中後に身体が麻痺してしまった患者さんに対して、脳神経科学を用いて理工学の分野からリハビリテーションを施す研究でした。高校生の私には少し難しい話でしたが、その技術が「身体障がい」のある人を幸せにできる意味のある研究であることは理解できました。また、医学だけではなく、理工学という分野からも「障がい」に対してアプローチできるという新しい概念を得られた瞬間でもありました。

高校が慶應義塾大学の一貫高校(SFC)だったという恵まれた環境にあったため、その年の夏に牛場研究室のオープンラボ(3 days)に応募し、運よく参加することができました。そこでは、リハビリテーション神経科学の魅力にさらに触れることができました。医学の道へ進む選択肢もありましたが、プログラミングや電子工作などに没頭していた時期があったことや理工学部でのオープンラボの体験などの様々な根拠から、医学部ではなく理工学部へ進むことを決断しました。

3. 障がいを「社会モデル」で捉える

大学へ入学し、学業と並行して、LITALICOという会社でインターン(アルバイト)を始めました。そして、このインターン先との出会いが2度目の転機となりました。LITALICOという会社は、「障がいのない社会をつくる」というビジョンを掲げている会社でした。以下、ホームページからの引用です。

障害は人ではなく、社会の側にある
社会にある障害をなくしていくことを通して
多様な人が幸せになれる「人」が中心の社会をつくる

それまでの私は、「障がい」とは医療を必要とする疾患や傷害に起因する機能・形態・能力障害(Disablity)という概念しか知りませんでした(医学モデル)。しかし、このような考えに対して、障がいを人間の個性として捉えて、個人的な問題ではなく、社会的な問題として捉える考えがあることを知りました(社会モデル)。例え話として、車椅子を使う人が段差を登りたかった時、「医学モデル」では本人が歩けるようにアプローチを取ります。一方、「社会モデル」ではスロープを作るというアプローチを取ります。どちらも大切で必要なアプローチですが、「社会にある障がいをなくしていく」というアプローチは、私にとって新しく、とても素敵だと感じました。

今となって考えてみると、日本の「通常級と支援級に分ける環境(社会)」では、「医学モデルにおける障がい」のある人に対する差別や偏見などを生み出し、結果的に「社会モデルにおける障がい」を生み出しているという見方ができるかもしれません。

また、海外を訪ねた車椅子に乗る友人は、次のようなことを話していました。

日本では、車椅子の人が暮らしやすい環境(エレベーターやスロープなど)は整っているが、人からの配慮はあまりない。一方で、海外では、特に偏見を持つことなく、自然に手を差し伸べてくれる人が多い。

海外の小学校では「医学モデルの障がいがある人もない人も同じ教室で勉強し、一人一人の個性を認めていた環境(社会)」だったが故に、「医学モデルにおける障がい」を持った人でも差別や偏見は持たれづらく、「社会モデルにおける障がい」は少ないのかもしれません。

このようにそれまでは科学(リハビリテーション神経科学)によって障がいをなくすというアプローチを考えていましたが(医学モデル)、社会のシステムやデザインを変えることによって障がいのない社会にすること(社会モデル)もできるのだということを知りました。

そして、「医学モデル」で捉えられる障がいをなくすことは根本的な解決になるため大切であるものの、とても時間がかかります。そのため、医学的な障がいのある人でも、障がいなく生きていけるように「社会モデル」で捉える障がいをなくすことも、並行して必要な取り組みであると強く思いました。そのため、大学では、リハビリテーション神経科学の勉強及び研究を行いながら、LITALICOにて働いてきました。

おわりに

これまでの10年間、数多くの決断をしてきました。次の1時間でどのような時間を過ごすか、どこの大学・学部へ入学するか、どこの研究室へのジョインを希望するか、どこの会社でインターンをするか、その時取り組んでいることをやめるか・続けるか。学生の間は、本当にたくさんの決断を要求されます。

ここからは完全に私の持論になるため、参考程度にお読みください。決断において最も重要な要素は、「決断根拠をしっかりと持つこと」だと思います。決断には判断時間(悩む時間)が必ず伴うため、それなりにコストが発生します。時間はかかるし、頭は使うし、正直何も考えずに適当に決断したくなる瞬間も多々あると思います。しかし、しっかりと吟味した上で、決断根拠を持ち判断することによって、後悔することはないと思います。この10年間、子どもながらに試行錯誤し、決断をしてきて、何一つ後悔は残りませんでした。

最後に、この記事では私がこの10年間、何を考え、どう行動してきたかについてまとめました。今回は「障がい」という題材をベースに記しましたが、それ以外にも決断や出会いは数多くありました。そして、どれにおいてもしっかりと吟味の上、決断をしてきたため、後悔のない10年間でした。そして、これからもそのように後悔のないように決断していきたいと思います。もしもこの記事を最後まで読み、皆様に何かしらの価値となりましたら、幸いです。最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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Masumi Morishige(慶大院、リハビリテーション神経科学研究室、修士2年)。ビジョンは「障がいのない社会」をつくること。研究者 / フリーランスエンジニアとして活動中。【https://www.umi-mori.jp