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創作大賞に参加して、今思うこと


大袈裟なようだけれどnote創作大賞はnoteクリエーターの夢だと思っている。

昨年、初めて物語を書いた。書きながら何度も、いや待てよ、と思った。これはちょっと赤裸々過ぎるぞと。

それでも迷いつつnote創作大賞へ応募した。すると自分の中に線が引かれた。何かが一つ終了した、そんな感じだった。自分の中で息をしていた出来事が、書いたことで自分の体の中を通り抜けていった。

そのコンペの後、裸になれ、気取るな、自分を書け、と言ってくださった方との出会いがあった。けれど、何事もタイミングってものがあると思わずにいられない。その言葉の意味など2022年の夏のわたしは難しすぎた。

その夏が過ぎ、秋になったころ、わたしはこのnoteで毎日文章を書きはじめた。

今日一番心に残ったことを書いてみようと思って始めた。目的は一つだったと思う。吐き出したかったのだ。

自分の中に何があるのか、自分のことなのにそれがわからなかった。何もないのならそれでもいいと思っていた。あるのか、ないのか、そこが知りたかった。

すると、昨夏貰った言葉の意味がぼんやりとわかるようになってきた。裸になれ、気取るな、自分を書けという謎の言葉の意味が。そんな頃から、わたしの中には書きたいものがあるんだと思えるようになった。そんな頼りないものがようやくぼんやりと見えてきた。しかもそんなものが幾つもあるではないか。それを書くことができるかどうかはまだ不明なままだ。けれど書きたいものがある、それが分かっただけでも良かった。書き続けてようやくそんな小さなことがわかった。

その一つが母と娘だった。

そうして「母と娘」をテーマにしたエッセイを書いた。

ずっと「毒親」という言葉が気になっていた。特に「母と娘」が気になっていた。

この言葉が生まれて以降、娘たちは重たい荷をおろすことがきた。そう思われているのかもしれない。その言葉に自分の抱えてきた苦しみが集約されていると思った娘たちがいたのかもしれない。世の中にまさかの毒親がいたのだ。それが自分の親だったと知っただけでどれほど楽になれたことか。

けれど、そこから娘たちはどうなったのだろう。

「毒親」へたどり着いた人が得たものはなんだったのだろう。

そんな先の母と娘の物語を書いてみたかった。

よかったらお読みください。


※最後までお読みいただきありがとうございました。


※スタエフでも話しています。

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