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【介護】やりたいことをやるために


やりたいことがみつかったら、進んでいけばいいと思う。

けれど時に邪魔するものがある。

それは、人の言葉と自分の気持ち。

☆  ☆  ☆

近頃忙しすぎた。

今朝、散歩に出かけると首と肩に違和感がある。これは小さなサインだ。

というわけで、今日は外の花を眺めながら母とお茶を飲んだり、おしゃべりしたり、マッサージをしてあげたり、ではなく、してもらったり笑、何もしない一日にした。

昨日は母の付き添いで病院だった。帰ったのは夕方。

noteに取り掛かれたのは夜の11時過ぎ。ただ途中でつい床に寝てしまいふと目が覚めると11時50分。慌てて投稿し、その後編集した汗。

それから雑用を片付けて寝たのが2時過ぎ。


そして夕方、いつものようにスタエフでliveを立ち上げようと思った時、気になるnoteのタイトルが目に飛び込んできた。

それがこちら。


Satokoさんの記事だ。「取り越し苦労をしてはいけない」。

取り越し苦労かぁと思った。

それが癖になっている人の顔が目に浮かぶ。その人と話していると、それが本当に起こりそうだと思えてくるから不思議だ。だからその人は絶対に動かない

これは本当だ。

Satokoさんは、作家の内田樹氏の言葉を借りて、取り越し苦労と、先々に備えて準備をすることは違うといわれる。その上で、取り越し苦労はしてはいけないといわれる。

取り越し苦労というのは、まだ起こっていないことをつぶさに想像することで、それは強い刺激をもって脳に烙印を押すことになる。……リアルな映像を脳に映すことになる。

と。

人は一瞬で先々に起こりそうなイメージを描く。しかも、そのちょっとネガティブな映像を何度も取りに行く。

これは成功のイメージと逆のパターンだ。

その強いイメージに引っ張られるため、それが癖になると人は動けなくなる。なぜって心配だし不安だし緊張するから。

そこでSatokoさん全方位的にリラックスして構えているのがいいといわれる。


☆  ☆  ☆

さて、早いもので、母と暮らしはじめてこの夏で5年目を迎える。ちょうどわたしが動き出そうと思っていた頃、足の悪い母が我が家へやってきたのだ。

人生なんてそんなものだ。

本当にそんなものだ。

ただわたしはそれでも動きたかった。

母との暮らしが落ち着いてきたのはそれから1年程のこと。病院も決まったし、日中は起きていられるようになったし、なにより母が笑うようになった。

そしてわたしはフリーになった。

自分の人生って、誰のせいにもできない。それは若い時に学んだこと。

介護がはじまったらもう無理だよ、と外野がうるさく心配してくれた。それでも動き出した。準備に一年。動き出して一年。

それでもやりたいことがあるのならやるのがいい。できなかった時には、またそこで考えればいい。

そして今は周りが巻き込まれている笑。

わたしの都合が悪い時には、娘が休みを取って母の病院に付き添ってくれることがある。今では、夕飯を早めに食べたい母のために、娘が母と夕飯を食べてくれる。帰りの遅い夫とわたしは10時過ぎに食べる。

夫も実に柔軟に動くようになった。食事に関しての煩い注文はほぼなくなった。

そう、介護中の人が動けないのではない。

わたしが家に居る人になってしまうと、わたしが動けなくなるだけなのだ。

家に居る人になると、わたしは誰も巻き込めない。わたしが忙しい人になると、誰かが手伝うことになる。それがいい。

子育ても介護も皆でやったらいいと思う。一人では大変だ。

誰かが人のためだけに生きられないように、わたしだって自分のやりたいことを諦めたくない。

子育ても介護も、人と人が最も繋がれる時期だと思う。だからわたしが抱え込まなければ、介護は娘と夫の経験にもなる。人が老いるということを一緒に体験できる。

誰だって老いる。だから知っていていい。

わたしは取り越し苦労はしない。動いてみると思わぬ発見があるものだと思っている。


※最後までお読みいただきありがとうございました。


※スタエフでもお話ししています。

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