なぜ「意識」は変わらないのか。#専業主婦になりたい
またそんな話し?と思われる方が多いはず。
こんな時代に専業主婦になりたい人がいるだなんて、本当だろうかと。
女性の意識
けれど今でも女子大生や働く女性たちの多くが、結婚して専業主婦なりたいという。
専業主婦という生き方は理想の生き方とは程遠いというのに。
それがどれほど不安定な暮らしであるか、その理由を下の記事で述べた。
すると、先月書いたその記事に、昨日コメントを下さった方がいた。きっとこれは気になる人が少なくないテーマなのだ。
その方は働く女性で、
と言われる。
それでも若い女性たちは、専業主婦になりたいという。
意識
なぜ意識が変わらないのか、情報が不足しているからなのかと不思議に思われる方もいるだろう。
ただ意識とは実に手ごわいものだと思う。なぜなら専業主婦になりたい女性には専業主婦の良さしか見えないのだから。
日本で主婦化がはじまったのは1970年代半ば。
多くの女性が主婦という暮らしに憧れた。その夢を後押しするようにそれから約10年後主婦年金がはじまった。
そんな先進国などない。わたしたちの暮らす国はそんな国なのだ。
そう、女性だけが愚かなわけではないのだ。
そんな国として歩いてきたのだ。
凡そ35年もの間、国と企業と人々が専業主婦になれるといいよねと女性たちに刷り込んできた社会なのだ。
事実と意識
わたしはその手ごわい意識と約3年家の中で戦い続けた。
わたしが戦ったのは母に刷り込まれた意識。
一度刷り込まれた意識をほどく、それがどれほど難しいことか、わたしは身をもって知ることになった。
今なら高齢者虐待はどこにでもあると思える。母と暮らしてみて高齢者がいかに弱者であるかが分かったから。
故郷を捨ててわたしの元へやってきた母は、家を出る際決めていたのだ。二度とここへはもどらないと。
それは母に起こった事実。
けれど、そこに母の意識が加わると事はひどく複雑になる。
混乱
足の不自由な母は夫を亡くして以降、実のこどもたちに苦しめられてきた。だから母はわたしを選んだのだ。
けれど、我が家へやってきた母は、遠慮がちに、故郷と子どもたちを誇りに思い、それをわたしに折に触れいい続けた。
事実と意識の乖離。
人生のほぼすべてを捨てて我が家へきた母。
けれど全てを奪われ何一つ持たない母の誇りを支えたのは、わたしではなく、捨ててきたはずの故郷の家や家族だった。人を信じられなくなりわたしの元へやってきた母。母はわたしをも信じられなくなっていた。
だから介護する側のわたしは、母の言葉に幾度も傷つけられた。
まるで母に利用されているような気分を味わされた。
便利な子どもだと思っているのだろうと何度も思った。
母の混乱は3年続いた。
言葉
そんな母の混乱ぶりに終わりが訪れたのは一つの言葉だった。
それは故郷の友達が何気なく母に伝えた息子の様子。その時、母の心を支えていた何かが不意に外れた。そして受話器を置くと、母ははじめて見るような顔でわたしを見た。
それが母の意識がほどけた瞬間だった。
そこから母は別人のように柔らかくなった。
わたしももう利用されているとは思わなくなった。
母は、我が家で暮らしながら、逃げてきた人たちと暮らしていたのだろう。
それが母の全てだったから。
その全てを否定することは母の人生を否定する事だったに違いない。
隙間
事実と意識に乖離がある時、人は混乱する。
母と続いた不毛の戦い。けれど母自身も葛藤しているだろうことは感じていた。
体に沁み込む意識が、その人を支えることも、その人を切り裂くこともある。
振り返ると、それでも繰り返しわたしが母に語り掛けたことには意味があったと思えてならない。
悲しくもやるせない日々だったけれど、母の心には少しも届かなかったような気がしていたけれど、それは届いていたのだと知ることができた。
人は見たいものを見て、聞きたいことを聞く生き物だ。それでも雑音が目に、耳に、心に届くことがある。
そう、繰り返し聞いた言葉がすーと体に入り込むことがある。
人の意識が変わるというのはきっとそんな時なのだろうと思う。
おわりに
長い間、なぜ女性の意識は変わらないのかと思い続けてきた。けれど母と暮らしたこの3年で、意識がいかに強いかを思い知った。
それでも繰り返し言葉を送り続けることで、いつかそれが届く、そんなことも経験した。
なぜ女性の意識は変わらないのか、それは刷り込まれた年月と人の量が多すぎるから。女性ばかりが愚かなのではない。
だからそれと同じほどの言葉を、わたしたちは発し続けるしかない、そう思っている。
※最後までお読みいただきありがとうございました。
※スタエフでもお話ししています。
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